『ハリウッド・リライティング・バイブル』 リンダ・シガー
素晴らしいアイデアを得たからといって、素晴らしい脚本が作れるわけではない。また、素晴らしいアイデアを単に紙に書き留めたからといって素晴らしい脚本になるわけでもない。脚本は他のいかなる書きもの以上に作文レベルでは通用しない。ライティングと共にリライティングによって脚本は素晴らしいものとなる。ライティングとリライティングの基本原則は同じものといえる。『ハリウッド・リライティング・バイブル』 イントロダクション
「ハリウッド」に反応して鼻でわらい、「バイブル」と聞いてマニュアル? と思った人、ハズレです。これはヒジョーに難しい本で、こんなふうに考えることもあります。「これが分かる人は、読まなくても分かる人ではないか」と。つまり、書ける人だけが分かる作りの本ではないかと。難しい言葉は使っていません。できるだけ分かりやすく説明しようと努力しているふうにも見えます。しかし、技術は「頭」じゃなくて、「身体」が会得することだから、感覚として分からなければ分かったことにはならないのです。書けなければ意味がない。結果が全てです。そういう厳しい本なのです。イントロダクションの続き↓
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『懶惰の歌留多』 太宰治
怠惰ほど、いろいろ言い抜けのできる悪徳も、少い。(略)
苦しさだの、高邁(こうまい)だの、純潔だの、素直だの、もうそんなこと聞きたくない。書け。落語(らくご)でも、一口噺(ひとくちばなし)でもいい。書かないのは、例外なく怠惰である。
(新樹の言葉『懶惰の歌留多』太宰治/新潮文庫14頁〜)
しょっぱなから耳の痛い引用となった、笑。
青空文庫でも読めるので、お時間のある方はどうぞ。
太宰と言えば、人間失格、斜陽、富嶽百景、走れメロスが有名だ。
他に、桜桃、女生徒、津軽、トカトントン、川端康成へ、なども取り上げてもらえる機会が多いと思う。
むしゃぶり付くようにして読み継いでいけば、はたして太宰治という作家はどのような書き手だったのか、ふり返り、目眩がする。代表作だけ読めば、もっと簡単に言えるのだろうけれど…。
苦しさだの、高邁(こうまい)だの、純潔だの、素直だの、もうそんなこと聞きたくない。書け。落語(らくご)でも、一口噺(ひとくちばなし)でもいい。書かないのは、例外なく怠惰である。
(新樹の言葉『懶惰の歌留多』太宰治/新潮文庫14頁〜)
しょっぱなから耳の痛い引用となった、笑。
青空文庫でも読めるので、お時間のある方はどうぞ。
太宰と言えば、人間失格、斜陽、富嶽百景、走れメロスが有名だ。
他に、桜桃、女生徒、津軽、トカトントン、川端康成へ、なども取り上げてもらえる機会が多いと思う。
むしゃぶり付くようにして読み継いでいけば、はたして太宰治という作家はどのような書き手だったのか、ふり返り、目眩がする。代表作だけ読めば、もっと簡単に言えるのだろうけれど…。
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アリス・マンローの2冊
『イラクサ』アリス・マンロー(訳・小竹由美子)読後、まず思ったのは、ノーベル文学賞レベルではないのか、ということ。訳者の小竹由美子さんによれば、じっさいに候補として名前が挙げられているという。納得する、技術レベルが遥かに超えている。この『イラクサ』から読み始めたのだが、アリス・マンロー独特の文体のせいで、ぐるっと一周はしり読みしただけではその良さが分からなかったくらいだ。もちろん彼女がこれまで獲得してきた華々しい称賛の数々も、念頭に置いて判断すべきだったのかもしれないが。いささか広告じみた文言に閉口するなんてことは今の社会、よくある話でもある。
どこがいいのと投げ出す寸前の私を繋ぎとめたのは、カバーに印刷された彼女の写真だった。べつに顔で小説を書いているわけではないのだが、この雰囲気でダメダメな小説を書くはずがないと、私の頭ではなく心がそう主張したものだから(心は脳が作り出したとか言わないでね 笑)、もう一周まわってみたというわけだ。あまり良過ぎると下手に見えるのか。それとも日本での認知度が低く、どこの馬の骨かと私の差別意識が撥ね返してしまったのか。(2度目の)読後に理解した。その辺の作家では太刀打ちできないと思う。これはノーベル文学賞レベルだ。
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『よいみみのこうま』 佐々木たづ
もう はるは そこまで きて いるというのに、くもった そらから、まだ ときおり ゆきが ちらちらと まいおりて きました。でも どうぶつの こどもたちは、そのはいいろの そらの したで、げんきいっぱい あそんで いました。
「かくれんぼ する もの
この ゆび とまれ、
かくれんぼ する もの
この ゆび とまれ。」
まもなく そこへ、一ぴきの くりげの こうまが やって きました。けれども、さっきの こどもたちの すがたは、もう みえませんでした。
この こうまは、いつも みんなと なかよく あそんで いました。
でも、うまれつき みみの きこえない この うまのこは、みんなが さそいに きた ことに きがつかないで、ときどき おいてきぼりを くいました。
こうまは、あちらこちら かけまわって さがしましたが、みんなの すがたは みあたりません。
そこで こうまは、その ひ 一にち、ひとりで げんきよく あそびました。
『よいみみのこうま』 佐々木 たづ(2頁〜)
耳の聴こえない子馬が仲間たちにバカにされる。
けれども心やさしく接して最後には子馬の良さを分かってもらえるというお話。
ここまで行く間に、神様が創ったという“しるし”のくだりが出てくる。
水仙のお花の真ん中のところが黄色いね、お茶碗みたいだね、とリスが言うと、なぜこんなふうになっているのかと、みんなで考え始めるのだ。すると小熊がこんなことを言う。「これはねえ、かみさまが つくったって いう しるしだよ。おかあさんが そう いってた。(7頁)」と。その言葉に促されて、自分のどの部分が神様に創られた“しるし”なのか、みんなで言い始めるのだ。小熊は自分の首の毛の渦巻きを見せて、これが神様に創られた“しるし”なのだと言うし、小鹿は背中の茶色い毛のなかにある、白い模様がそれだと言うし、小鳥はくちばしの赤いところだと話す。みんな口々に、神様に創られた“しるし”がここにあり、自分は神様に創られたものだと主張するわけだ。それを子馬は静かに見ている。からかいたい子狐は、子馬の体をくまなく調べ上げ、「ないねえ。(11頁)」、と言うのだった。
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