カタヨリ紙

終電前のブンガク雑談サイト 

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

アリス・マンローの2冊



2008.01.26 投稿
ノーベル文学賞、おめでとうございます^^


イラクサ (新潮クレスト・ブックス)
『イラクサ』アリス・マンロー

読後、まず思ったのは、ノーベル文学賞レベルではないのか、ということ。訳者の小竹由美子さんによれば、じっさいに候補として名前が挙げられているという。納得する、技術レベルが遥かに超えている。この『イラクサ』から読み始めたのだが、アリス・マンロー独特の文体のせいで、ぐるっと一周はしり読みしただけではその良さが分からなかったくらいだ。もちろん彼女がこれまで獲得してきた華々しい称賛の数々も、念頭に置いて判断すべきだったのかもしれないが。いささか広告じみた文言に閉口するなんてことは今の社会、よくある話でもある。
どこがいいのと投げ出す寸前の私を繋ぎとめたのは、カバーに印刷された彼女の写真だった。べつに顔で小説を書いているわけではないのだが、この雰囲気でダメダメな小説を書くはずがないと、私の頭ではなく心がそう主張したものだから(心は脳が作り出したとか言わないでね 笑)、もう一周まわってみたというわけだ。あまり良過ぎると下手に見えるのか。それとも日本での認知度が低く、どこの馬の骨かと私の差別意識が撥ね返してしまったのか。(2度目の)読後に理解した。その辺の作家では太刀打ちできないと思う。これはノーベル文学賞レベルだ。

ところが、この良さを説明したいと思って、私なりに感想文を書きたいと思っているのに、掴むと逃してしまう。どうやら彼女の良さを説明するだけの能力が私には不足しているようだ。諦めは悪い方なので、諦めずに書いてみようとは思っているのだけれど…。

林檎の木の下で (新潮クレスト・ブックス)
『林檎の木の下で』アリス・マンロー

イメージするのは海や川に投げ込まれた1本の糸。流れに沿いながら、流れに呑み込まれることなく、けっして沈まない。ゆらゆらと揺れながら常にどこかへと向かって行く、旅慣れた、ただの1本の糸。それがアリス・マンローの小説だった。彼女はさまざまな人生を描くけれども、投げ込まれた1本の糸としてのスタンスを変えていない。ここがまず素晴らしいと思う。訳者の方は、こう書かれている。↓

芸術家や思想家を「数多くのことを知っているキツネ」と「ひとつの大きなことを知っているハリネズミ」に分類した哲学者アイザイア・バーリンは、マンローは「ハリネズミ」だと述べている(ちなみに同じくカナダの現代作家で「キツネ」とされたのはマーガレット・アトウッド)。まさにその言葉どおり、マンローは、北米の作家がよくテーマにする政治や思想、権力や金や歴史上の大事件などには目もくれず、こつこつと自分の知っている「ひとつの大きなこと」を書きつづけてきた。生まれ育ったオンタリオ州と、自分の周囲の、およそ世間の注目など浴びそうもないごく普通の人々のことを。(『林檎の木の下で』訳者あとがきより引用)

およそ世間の注目など浴びそうもないごく普通の人々のことを――。
それこそ深い理解と技術が問われているのではないだろうか。時間を飛んで跳んで行く、行間に落とし込む、なにひとつ零さずに描こうとする彼女の独特な文体をまえにして、人知れず苦労されてきたのではないのかと、汗水流して努力し獲得していった、彼女の仕事場の風景を想像する。彼女の包容力は、深い理解へと結ばれて、技術によって繫げられていく。けっきょくのところ伝わらなかった情報は、伝えることができないのだと思う。ひょっとして彼女と似たタイプの作家は大勢いるかもしれないが、彼女の小説が素晴らしいことの、もうひとつの理由は、その愛が外側へと向かっているところだ。


【 アリス・マンローの経歴 】

1931年、カナダ・オンタリオ州西南部のヒューロン湖に近いウィンガムという小さな田舎町で生まれ、両親は遠縁同士で、スコットランド系アイルランド人の家系、父も母も貧しい農場育ち。人のいい優しい父親と、上昇志向の強い、知性や教養を振りかざす、しっかり者の母親。アリスは長引く大恐慌の余波のなかで子ども時代を過ごした。元教師だった母は厳しい生活のなかでアリスを長女とする3人の子を産み育て、アリスが9歳のときにパーキンソン病を発症した。
この地域は勤勉で信仰心篤い長老教会派のスコットランド系アイルランド人によって開拓された、閉鎖的な土地柄で、アリスのような空想好きな読書家の少女が野心めいたことを口にしようものなら、「あんた自分を何様だと思っているの?」と周囲からやり込められるような環境だった。しかしアリスは早くから「有名な作家」になろうと決心していた。
女の子であれば、まず料理や裁縫といった実質的な技能が求められた時代に、持ち前の頭の良さを武器に奨学金を得、病んだ母のいる実家を出てウェスタン・オンタリオ大学に進学。図書館司書やウェイトレスのアルバイトなどで生活を繋ぎながら学業に励み、校内の文芸誌に短篇小説を発表する。2年後に奨学金の期限が切れて学業が続けられなくなったアリスは、同級生のジム・マンローと結婚。ジムはアリスと正反対の、都会の恵まれた家庭の出身だった。2人はヴァンクーヴァーに移り、アリスは公立図書館に勤めたあと、3人の娘を産む(1人は生後まもなく死亡)。結婚した女性はキャリアをあきらめるのが当然という時代に、アリスは作家になる夢を捨てず、妻、母としての役割との相克に悩みながらも、家事のあいまにこつこつと作品を書き続けた。
63年にヴィクトリアへ引っ越した夫婦は、書店を始める。この「マンロー書店」は今でもジム・マンローが営業を続ける有名な書店である。68年、初の短篇集が出版されると、カナダで最も権威のある文学賞、総督文学賞を受賞する。無名の書き手だったアリス・マンローは、37歳にして作家としての地位を確立した。71年、連作短篇集を発表、カナディアン・ブックセラーズ賞受賞。その後、離婚し、大学の同級生だったジェラルド・クレムリンと再婚。国外でも評価が高まり、ニューヨーカーに作品が掲載されるようになる。2回目の総督文学賞受賞。ブッカー賞最終候補。「短篇の女王」は、その後も数々の賞を受賞している。イギリスのW.H.スミス賞、アメリカのペン・マラマッド賞、全米批評家協会賞、総督文学賞は3度目の受賞となった。他にも、書ききれないほどの受賞歴だ。辛口コメントで有名な批評家たちをも唸らせる、素晴らしいと言わせる確かな実力がある。なにより、次は何を書いてくれるのかと待ちわびる熱心な読者層に支えられている。無名の人々の、ごくありふれた人生を描き、沈まない1本の糸で在り続ける。マンローは70歳を過ぎてもその創作意欲は衰えるところを知らない。「以前は、歳をとったらもうあまり書く気もしなくなるだろうと思っていました。自分というものが変わってくるだろうとね。ところがそうはなりませんでした。体は老いても、頭は変わらないんです」 (『イラクサ』訳者あとがきを参考にしました。)

イラクサ (新潮クレスト・ブックス) 小説のように (新潮クレスト・ブックス) 林檎の木の下で (新潮クレスト・ブックス) 木星の月 美しい子ども (新潮クレスト・ブックス)

アリス・マンローの関連記事
『イラクサ』 アリス・マンロー
『アウェイ・フロム・ハー君を想う』 原作アリス・マンロー



スポンサーサイト

『ハリウッド・リライティング・バイブル』 リンダ・シガー

ハリウッド・リライティング・バイブル素晴らしいアイデアを得たからといって、素晴らしい脚本が作れるわけではない。また、素晴らしいアイデアを単に紙に書き留めたからといって素晴らしい脚本になるわけでもない。脚本は他のいかなる書きもの以上に作文レベルでは通用しない。ライティングと共にリライティングによって脚本は素晴らしいものとなる。ライティングとリライティングの基本原則は同じものといえる。
『ハリウッド・リライティング・バイブル』 イントロダクション

「ハリウッド」に反応して鼻でわらい、「バイブル」と聞いてマニュアル? と思った人、ハズレです。これはヒジョーに難しい本で、こんなふうに考えることもあります。「これが分かる人は、読まなくても分かる人ではないか」と。つまり、書ける人だけが分かる作りの本ではないかと。難しい言葉は使っていません。できるだけ分かりやすく説明しようと努力しているふうにも見えます。しかし、技術は「頭」じゃなくて、「身体」が会得することだから、感覚として分からなければ分かったことにはならないのです。書けなければ意味がない。結果が全てです。そういう厳しい本なのです。イントロダクションの続き↓ 

『懶惰の歌留多』 太宰治

怠惰ほど、いろいろ言い抜けのできる悪徳も、少い。(略)
苦しさだの、高邁(こうまい)だの、純潔だの、素直だの、もうそんなこと聞きたくない。書け。落語(らくご)でも、一口噺(ひとくちばなし)でもいい。書かないのは、例外なく怠惰である。
新樹の言葉『懶惰の歌留多』太宰治/新潮文庫14頁~

しょっぱなから耳の痛い引用となった、笑。
青空文庫でも読めるので、お時間のある方はどうぞ。

太宰と言えば、人間失格、斜陽、富嶽百景、走れメロスが有名だ。
他に、桜桃、女生徒、津軽、トカトントン、川端康成へ、なども取り上げてもらえる機会が多いと思う。
むしゃぶり付くようにして読み継いでいけば、はたして太宰治という作家はどのような書き手だったのか、ふり返り、目眩がする。代表作だけ読めば、もっと簡単に言えるのだろうけれど…。


『よいみみのこうま』 佐々木たづ

ロバータさあ歩きましょう (偕成社文庫 4029)もう はるは そこまで きて いるというのに、くもった そらから、まだ ときおり ゆきが ちらちらと まいおりて きました。
でも どうぶつの こどもたちは、そのはいいろの そらの したで、げんきいっぱい あそんで いました。
「かくれんぼ する もの
この ゆび とまれ、
かくれんぼ する もの
この ゆび とまれ。」
まもなく そこへ、一ぴきの くりげの こうまが やって きました。けれども、さっきの こどもたちの すがたは、もう みえませんでした。
この こうまは、いつも みんなと なかよく あそんで いました。
でも、うまれつき みみの きこえない この うまのこは、みんなが さそいに きた ことに きがつかないで、ときどき おいてきぼりを くいました。
こうまは、あちらこちら かけまわって さがしましたが、みんなの すがたは みあたりません。
そこで こうまは、その ひ 一にち、ひとりで げんきよく あそびました。
『よいみみのこうま』 佐々木 たづ(2頁~)

耳の聴こえない子馬が仲間たちにバカにされる。
けれども心やさしく接して最後には子馬の良さを分かってもらえるというお話。

ここまで行く間に、神様が創ったという“しるし”のくだりが出てくる。
水仙のお花の真ん中のところが黄色いね、お茶碗みたいだね、とリスが言うと、なぜこんなふうになっているのかと、みんなで考え始めるのだ。すると小熊がこんなことを言う。「これはねえ、かみさまが つくったって いう しるしだよ。おかあさんが そう いってた。(7頁)」と。その言葉に促されて、自分のどの部分が神様に創られた“しるし”なのか、みんなで言い始めるのだ。小熊は自分の首の毛の渦巻きを見せて、これが神様に創られた“しるし”なのだと言うし、小鹿は背中の茶色い毛のなかにある、白い模様がそれだと言うし、小鳥はくちばしの赤いところだと話す。みんな口々に、神様に創られた“しるし”がここにあり、自分は神様に創られたものだと主張するわけだ。それを子馬は静かに見ている。からかいたい子狐は、子馬の体をくまなく調べ上げ、「ないねえ。(11頁)」、と言うのだった。

Info
ブログ拍手ありがとうございます。 このサイトは引越しました。文学の他に、韓国映画ドラマ、音楽、DIYなど、より雑多になって、のんびり続けています。
新サイト→ コドリバ
Search
Category
Links
AmazonSearch
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。