カタヨリ紙

終電前のブンガク雑談サイト 

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アルチュール・ランボー、地獄の季節から。

私は好んだ、荒野、焼き焦がされた果樹園、色あせた商店、そして生ぬるい飲み物などを。異臭を放つ小路から小路へとうろつき廻って、私は眼を閉じたまま、焔の神・太陽にこの身を捧げていた。
「将軍よ、崩れかかったおまえの城壁に、一門の古びた大砲が残っているのなら、乾いた土塊(つちくれ)をこめて、おれたちを砲撃してくれ。きらびやかな店舗のガラス窓を狙え! サロンのなかへぶち込め! 街じゅうに土ぼこりを食らわせてやるのだ、樋嘴(ひはし)は錆びつかせろ。閨房には燃えるように熱いルビーの粉を充満させろ……」
おお! るりぢしゃに懸想(けそう)して、旅籠(やど)の共同便所に酔い痴れている羽虫、そいつも一条の光に溶けてしまうのだ!
(『ランボー全詩集/宇佐美斉・訳』287頁~)

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『プーテルとぼく』 大嶽洋子

プーテルがやってきたのは、ぼくの四さいのたんじょう日の朝だった。(略)ぼくは、こっそりとなりのへやをのぞいてみた。そしたらどうだ。ごはんを食べるときのぼくのいすにすわって、テーブルにひじをついて、くまがいたんだ。ぼくは、おおいそぎでそばへいってのぞきこむと、小さな声で、
「あれっ、きみ、ママのいってたくま?」
といった。どうしてかっていうとね、このあいだ、ママが、
「こんどのたんじょう日にね、れいちゃんのところにくまがくるって、ハガキがとどいたわ」
って話してくれたからなんだ。
「うん。ぼかぁ、プーテル。青葉山からきたんスよ」(8頁)

「れいちゃん」の4歳の誕生日に、熊の子「プーテル」が唐突にやって来る。その理由は語られておらず、ただ「ハガキが届いた」とだけ説明されている。この物語の出だしから想像するに、きっと結末はプーテルが山に帰ってしまう場面ではないのかとあたりをつけて読みすすめていったが(76頁もある長い話です)なんと最後までプーテルは説明もせず山に帰ることもなく、「れいちゃん」との暮らしのなかに溶け込み馴染んだままで、終わってしまった。
そこがとても良いと思った。
教育的配慮か感動を誘い込もうと目論むのか必要以上に物語を捻じ曲げようとしないところが良いと思う。念のため、急いでもう一言付け加えると、動物を擬人化させることに対して云々する意見をよく耳にするけれど、そうではなくて、物語を介してプーテルを愛するところから、プーテルのふるさと青葉山を(仙台の青葉山?)愛する気持ちへと繋げてゆける。れいちゃんとの暮らしを魅力的に描くただそれだけで、物語を捻じ曲げることなく(必要ならば)同時に教育的配慮もなされていることになる。物語は物語に徹してこそ読者を次のアクションへと導いてゆけるのだと思う。

『小説家』 勝目梓

『小説家』 勝目梓命が絶える日が目前に迫ってきても、彼の頭の中にあるのは息をしている現在ただいまのことだけで、過ぎた昨日のことも、くるかこないかわからない明日のこともおそらくは考えようとしないだろう。彼はそういう男なのだった。(423頁)

勝目梓さんの『小説家』はこの言葉で締め括られている。エッセイではない、小説である。「半生を振り返る初の自伝的小説」と紹介されていた。「彼はそういう男なのだった。」とこの一行を書きたいがために『小説家』は書かれたかのようだ。“そういう男”だったとしか言いようがないのである。“そういう男”を小説としてそのままに書くことでしか表現できない小説なのである。

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