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米谷ふみ子 『過越しの祭』

或ることの参考に読みました。
どう切り取り、そしてどう描くのか、それが知りたくて。
昭和60年『文学界』に掲載された同文芸誌・新人賞受賞の『遠来の客』と、同年『新潮』に掲載され、やはり同文芸誌・新人賞受賞の『過越しの祭』の2篇が収録されています。ちなみに第94回芥川賞受賞。


内容(本の紹介文から)
男尊女卑の日本を離れ、自由に絵を描きたい――大いなる夢を抱き渡米した道子。ユダヤ人作家と結婚したが、文化の違いから何かとぶつかってばかり。そして生まれた子どもは脳に障害を持ち…。施設から帰宅した子どもをめぐる家族のいざこざを描く「遠来の客」、奴隷解放を祝うユダヤの祭で結束固い夫の一族に翻弄され、自らの解放を密かに決行した「過越しの祭」(芥川賞)の2編を収録。自由を求めたはずの道子の予期せぬ戦いとは。


itu:kairou評。
ものすごくギトギトしています。ナマっぽい。お母さんたちの井戸端会議へと、落ちて行きそうで落ちて行かない、危ういところで踏みとどまり、目が覚めるようなキレ味のよさで一気に駆け昇って行きます。たとえばこういう文章がありました。姑が失礼なふるまいをする。主人公の道子の着ているオーバーが、安っぽく見えたのだろう、無言で裾をつまみ上げ、なかに何を着ているのか検査するような目でじろじろと見たのだそうです。


※アメリカで、こういうことは存在していないと思っていた矢先、初めて姑からこんな扱いを受けて暗澹とした。自分の母親でもこうした下等な振る舞いはしなかったのに、このモダンなアメリカにまで来てと。地球が三十回太陽の囲りを逆さに回ったようであった。もう三十歳にもなった女を摑まえて、よくあんなことが出来たものだ。個人として大人としての個性の尊重もへったくれも無かった。その瞬間、“はっ”と気が付いたことがあった。わたしは過去二十年、間違った本を読んで来たんだ。西洋の女は皆ボーボワールではなかったのだ。“第二の性”なんて通用しない。※


それからこういう文章もあります。
夫方の一族はユダヤ教徒なのですが、それについて道子はハッキリと言うわけです。旧約聖書も新約聖書も、東洋人から見れば同じ1冊の本だと。西洋ではユダヤ教だカトリックだプロテスタントだと揉めているけど、それが不思議でならないと。夫は、家に帰ってから説明します。ユダヤ教徒は旧約聖書しか信じていない。それでいつも迫害を受けてきた。だから、ユダヤ教徒は、旧約と新約を、同一視できないのだ。


※とわたしの知識の欠如を指摘した。わたしは迫害された者の心理を知らない、又、国際的な知識の欠けている無神経な日本人であった。
だからと言って、一たん原爆の話になると彼等はなかなか受け入れようとしなかった。
アル(夫)が、
「ナチの収容所で、さいなまれ、さいなまれて殺される方が、原爆で一時に殺されるのよりずっと残酷だ」
と言った。(中略)
「六百万人が殺されたのと、十三万五千人が殺されたのと、どちらが罪が重いか」
勿論数が多い方が重いかもしれないが、果たしてそれだけなのだろうか。考えようがなくなる。(中略)
あれから二十年、時代も変わった。…反核運動も地につき出した。
だが、本当にお互いの感情が解るようになっただろうか。
シルビア(義姉)も日本製品を褒めちぎり、「にぎり」や「おしたし」を日本のレストランで食べると言うが、未だにわたしの話には耳を傾けようともしない。※


この小説が、文芸誌に掲載された、昭和60年、男女雇用機会均等法が成立し、日本電信電話がNTTになり(公社民営化)、ニュースステーションは久米宏を起用して、その個性を売りにしました。(参考)現在と、どこが同じでどこが変わったのか、しばし立ち止まり、考えさせられた箇所がいくつかあります。ちょっと言い過ぎてやしないかと、閉口する箇所もあるのだけれど、それでも、目の覚めるような文の連なりに出会うと、やはり、素直に嬉しくもなります。
この小説をリアルタイムで読んだ人の感想は、如何なるものか…?
そのことが、気になりました。


【ご紹介した本】
過越しの祭
米谷 ふみ子

4006020554

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