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『腹中花』 桑井朋子

あれから二十年余がたった。私はいっとき嫉妬に狂い、その婆さんを殺したり醜いトカゲの姿に変えたりするという妄想を描くことで、辛うじて日常の生活を保っていた。その日常も男と別れてからは以前のように汚れのない生活に戻り、心置きなく娘とも会えた。けれどもその汚れのない二十年はなんてつまらなかったことだろう。彼との二年三ヶ月と比べれば、月とスッポンだ。とりわけ、この世にもうこの自分を殺してくれる者がいないのだと、ふとそう思うときの虚しさは言葉に言いつくせない。
人はどうなのか知らないが、私はたえず自分の死が納得のいく形に保証されていないとどうしても落ち着けない。でなければ、現実のどんな希望も幸福もただの幻のようでしかない。(156p)

※『文学界4月号』/『腹中花』桑井朋子

第101回文学界新人賞辻原登奨励参考作というビミョーな位置づけながら、わずか数ヶ月で次の作を世に送り出した、桑井朋子さんは、いまでは珍しいのでしょうか? “書くべきもの”を持った、現代作家のうちの1人のようです。老いを、ユーモアで道案内する、けれどそのユーモアは、上に抜き出した文章から察するに、「辛うじて日常の生活を保」つための方法である、らしい。夢も現実も、人も物も、彼女の頭のなかで半回転し、こちら側へといったんは引寄せてからでないと了解できないらしい。抱えきれぬほどの、何か。それは老いでもあるだろうし、死もそうだし、愛してやまない人でもあるだろうし。そういった抱えきれない何かを、抱えてゆかねばならぬとき、彼女でなくても誰でも了解できるものではないと思う。そこを彼女は描いてゆくのですね。ありていに言えば、老いを前にして、人々はどう揺れてゆくのか、死を予感しつつ、それをどう理解してゆくのか、という、難問中の難問に、彼女は手を伸ばし、掴もうとしているかのようです。けれどもそれは掴みきれていないような気がします。目前にして、回れ右をしているような、気がする。もっとハッチャケてもよかったような、気もする。でもそれは、まだ私がケツの青いガキだから、かもしれない。じっさい私だって老いて死を予感するときになれば、回れ右をするに違いないのだ。逡巡する、に違いない。だからこそ、「自分の死が納得のいく形に保証されて」いることを望むのでしょうか。漠然とした、死ではなく、納得のいく形としての、死を。

桑井さんの年齢などを、リセットして読みました。
色眼鏡は作家さまに失礼かとも、思いましたので。
長い小説を書いて欲しいです。
この不完全な燃え方は、きっと長い枚数を求めているかのように、感じられました。

『退行する日々』/桑井朋子の記事

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