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『泥棒日記』 ジャン・ジュネ

わたしの書いたものを検(あらた)めてみると、わたしは今日そこに、卑しいとされている人間や物や感情を対象とする、忍耐強くつづけられた、復権の意志を明らかに認めるのである。卑しいものたちを、ふつう高貴さを表現するのに使われる言葉で称(よ)んだことは、幼稚な、たやすいやり方だったかもしれない、――わたしは急ぎすぎたのだ。(略)しかし今日自分の書いたものを読みかえすとき、わたしはそれらの若者を忘れてしまっており、彼らからはただわたしが高らかに歌ったさまざまな属性が残っているだけである。そしてそれらこそがわたしの諸作品の中で、自恃(じじ)の念や英雄的行為や大胆さと等しい光輝をもって輝くだろう。わたしは彼らのために言い訳を捜そうとはしなかった。彼らを正当化しようとはしなかった。わたしはただ彼らにも「名辞」たるの栄誉を与えたかったのだ。この操作はわたしにとって無駄ではなかったようだ。わたしはすでにその効果を感じている。すなわち、わたしの精神は、あなた方が蔑むものを美しくしたことによって、わたしの心を激しく揺り動かしたものを光輝ある名でよぶという活動に倦(う)み疲れて、いまはもう、あらゆる形容語を拒否するようになっている。わたしの精神は、人間でも物象でも、それらを混淆(こんこう)することなく、すべてを等しくその裸の姿において受け入れるのだ。それらに衣を被せることを拒否するのである。こうして、わたしはもう何も書きたくない。わたしは「文学(ことば)」と訣別すべき時が来ているようだ。(160p~)



ジュネの、泥棒日記です。
読むのに苦労した。ずいぶんと時間がかかった。詩人の思考で書かれた文章は、ゴツゴツとした生っぽい言葉の数々を、手加減なしで投げつけて寄こすので、そのうしろを追いかけてゆくのが大変だった。途中で時間を止めて逆戻りしたこと、2度3度、いや、もっと。笑。がしかし。これは苦労しても読むにあたいする貴重な1冊ではなかろうか。毎度のことながらヘタな感想文を書かせてもらってますが、まずまっ先に書きしるしておくべきことは、ジュネは、自分とその仲間たちがやってきたことを、ただ手放しで美化し、正当化させ、代わって弁護する役目を果たしたくて、この小説を書いたのではないのだということ。どうも訳者の方の解説も、そちらへと向かっているような語り口だったので、敢えてしつっこく言ってみる。垢と虱と汚物と同性愛の精液にまみれ、他人のものを盗むよりほかに生きる糧のない、人殺しさえもなんとも思わないような悪党どもを、この世のならわしどおりに文学が斬りつけるとするならば、紙の上に文字を刻んでゆくことの意味が私には理解できない。もしそうだとするならば、この小説は、ジュネの泥棒日記は、1行だって読む必要がなくなってしまうだろう。言い訳は文学ではないだろうから、上に抜き出した、ジュネの言葉どおり、あるがままに見て、そうしてそこに、ほんのわずかな、けれども澄んだ愛を、かつての仲間たちと自分自身にも、最後に注いでやりたいという、そういう小説なのではないか。じじつ、かつての仲間たちも、それから哀れな自分自身のことも、一面的には語ってはいない。愚かさも醜さも、裏切りも描かれている。またそれが読者の私の胸に、ジンジン…、と痛くって、苦しかった。孤独、孤独、孤独である。どこまで行っても孤独なのだ。ジュネの言うところの“あなた方の世界”から、むしり取られた一塊の人非人たちを、くっきりと際立たせているのがこの孤独なのである。荒々しく吹きすさぶ砂塵を往く、うつむき加減に、ときにこちらを見据え、すべてを壊してやりたいといったふうな情念を煮えたぎらせて、まだ若い彼らはまっすぐに徒刑場へと向かってゆくのだ。はたしてこれは小説なのだろうか。お話なのだろうか。セリーヌのときも同じ感想だった。あまりにリアルで、なまなましくて、忘れらない、1冊です。

※ジャン・ジュネ(1910-1986)について
パリで父無し子として生まれ、母親にも捨てられる。15歳で少年院に収監されるが脱走し、乞食、泥棒、男娼をして各地を放浪し、ヨーロッパ中の刑務所を転々とする。42年、刑務所内で処女詩集『死刑囚』を書き、続いて小説『花のノートルダム』『葬儀』『プレストの乱暴者』が発表され、才能を認められる。自らの体験を基にした『泥棒日記』は彼の代表作である。
『泥棒日記』執筆中に、10回目の有罪宣告を受けて終身禁固となるところを、コクトーやサルトルらの著名文学者たちの運動によってフランス大統領の特赦を受けるという、おそらく世界に類のない例をつくった。そのサルトルは、彼の作家論としては最も厖大な、原書で600ページにもわたるジュネ論を発表している。
日本に於いては石川淳が、はじめてジュネを紹介し、『泥棒日記』が翻訳されて世に出ると、坂口安吾がジュネ文学に共感、強く誌上に表明、三島由紀夫もまたジュネを礼賛した。
ジュネは、『泥棒日記』発表後、虚脱し、自殺を考える。数年間、沈黙する。しかし56年、戯曲『バルコニー』から第2のジュネ文学がはじまった。前衛劇作家としての、地位を確立したのち、被圧迫少数民族(在フランス移民労働者、アメリカの黒人、パレスチナ人等)擁護の政治活動にも従事し、多くの時事評論を発表したが、1986年、パリの小ホテルで死去した。死後、『泥棒日記』の自筆原稿が競売にふされ、170万フランという記録的高値で落札された。(解説を参考にしました)

【 ご紹介した本 】
泥棒日記
ジャン・ジュネ

4102119019

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