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『さかしま』 J・K・ユイスマンス

「こんにちは」「さようなら」「おとなしくして、よく勉強しなさい」こんな風に、きまりきった挨拶しかしない父だった。夏の休暇には、少年はルウルの城館に帰省した。子供の帰省も、母親を夢想から呼びもどしはしなかった。子供がいることなぞ、ほとんど気がつかないかのようだった。それでも時には、苦しげな微笑を泛かべて、数秒間、子供の顔をまじまじと見つめることがあったが、すぐにまた、厚い窓のカーテンで部屋を蔽った人工の夜のなかに沈湎して行った。(12p)
この小説の主人公、デ・ゼッサントの奇妙な嗜好にもとづく隠遁生活のさまが、第1章から16章にわたり、語られてゆく。
その前立てとして配置された「略述」には、なぜこのような生活を選び進んで行ったのかという理由づけとしての、彼の略歴が簡単にしめされている。上に抜き出した箇所がそれで、作者ユイスマンスは説明するのである。このような血筋を引き、このような両親のもとに生まれ、さまざまな環境に身を置いて女性遍歴などを経たあとに、だから彼は、このような奇妙な生活へと身を投じて行ったのだと。

「数秒間、子供の顔をまじまじと見つめることがあったが、すぐにまた、厚い窓のカーテンで部屋を蔽った人工の夜のなかに沈湎して行った。」

この母親のようすがその息子であるデ・ゼッサントのその後を暗示している。まさに彼は「人工の夜のなかに沈湎して行」くのである。奇妙な隠遁生活は、デ・ゼッサント流の母親の求め方、神の求め方、なのだろうか…? 「略述」以降の章立てはすべてユイスマンスの博識ぶりを見ること以外は、一見して、何も言っていない。暗号めいたエピソードが淡々と語れていくばかりだ。おそらく、頽廃的な空気を感じることくらいで、ほとんどの日本人には理解しがたい小説ではないだろうか。

文学史上の定説によると、これが自然主義の袋小路を脱した劇的な1本ということに、なっているらしい。「ユイスマンス一代の奇作『さかしま』は、世紀末のデカダンス文学と象徴派運動がようやく起りつつあったころ、この新しい気運を大きく発展させるためのスプリングボードの役割を果たした(by澁澤さん)」

同じく訳者・澁澤龍彦さんの紹介文から。
「主人公のデ・ゼッサントは、偏執狂的な人工の理想と我が身の病弱に悩む気むずかしい孤独な独身者にすぎず、ユイスマンの他の小説と大同小異であり、もっぱら倦怠と嫌悪にみちた彼の生活が回想風に描かれているばかりなのであるが…」
「ここで大事なのは、おそらく表現された限りでの、微温的な生活的現実に対する主人公の絶望そのものではなくて、むしろ、神にまれ悪魔にまれ、その絶望の埒外にある何ものかによってつねに魂を奪われているという状態、言い換えれば、暖慢な不断の緊張によって次々に粘りづよく主人公の内部の現実をあばいて行く、あの無意識の力ともいうべき牽引力を読者に向かって提示したことであった、と思われる。」

「その絶望の埒外にある何ものか」とは、いったい何を指すのだろう。「何ものか」は、ほんとうに、そこにあるのだろうか。
ここで思い出すことは、ユイスマンスのその後である。彼は悪の足もとに傅いて、キリストを仰ぎ見る。晩年は病魔におかされ献身的な少女の看護によって奇跡的に光を見る。彼の仕事はキリストに捧げられている。最初から最後まで、彼はキリストを見ていたのだ。ところが私にはそれがよく分からない。理屈では理解できても何故そこまでしてキリストを見るのかが分からない。こういうところで下地のなさを思い知る。私の知っているキリストは、日本のキリスト教徒たちが宣伝するような、ひたすらに尊く美しく清らかで微塵も悪を感じさせない、そういう牧歌的な風景画ばかりを見すぎてしまった。しかしユイスマンスのキリスト教は生々しい歴史にもとづいているので、とてもそこには納まりきれない。求めるほどに見つづけるほど、彼は悪を浚ってしまう。その悪の肩越しからキリストを見上げているような感じがする。いや、しかし、この感想文は、まったく自信がない。キリストを知らないことが、そのいちばんの理由だ。

作者ユイスマンスを見出したエミール・ゾラは、小説を読み、こう言った。
「きみは自然主義に怖るべき一撃を与えた。われわれのエコールを逸脱させるつもりか。きみ自身だって、あんな小説を書いていたら行きづまってしまうぞ」

じじつ、彼は行きづまってしまう。
当時、囂々たる非難のなかで、唯一彼の作品に理解をしめしたバルベー・ドールヴィイは、「かかる作品を書いてしまった以上、もはや銃口か十字架の下を選ぶよりほかに、作者に残された道があるまい」と言ったようだが、ユイスマンスは最初から、十字架の下を選び、それをうつしとることに、生涯を捧げたのだろう。日本の作家、埴谷雄高、三島由紀夫、石川淳らも、この小説を、愛したそうです。


さかしま
J.K. ユイスマンス 渋澤 龍彦

4309462219

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