「菊池寛に借りてくる」
そう言い残して、ひとり太宰は出て行く。
檀一雄、人質として、残される。
十日経っても音沙汰ナシ。
小料理屋の主人はご立腹、待っていられない、太宰はどこだ、どこに居やがると、檀といっしょに探しまわる。
荻窪。太宰は、井伏鱒二と将棋を指していた。
檀は激怒した。人質の身にもなってみろ!
そこで太宰が言うことには、、、
「待つ身は辛いかね。待たせる身が辛いかね。」
けっきょく借金は、井伏鱒二と佐藤春夫が払い、初代も着物を質に入れて賄ったという。その四年後に、『走れメロス』を発表したという。これ有名な話ですね(退屈でごめんなさい)。
新潟の高等学校へ、演説に行った話、『みみずく通信』から引用↓。
私は四、五はい水を飲んで、さらにもう一冊の創作集を取り上げ、「走れメロス」という近作を大声で読んでみました。するとまた言いたい事も出て来たので、水を飲み、こんどは友情に就いて話しました。
「青春は、友情の葛藤であります。純粋性を友情に於いて実証しようと努め、互いに痛み、ついには半狂乱の純粋ごっこに落ちいる事もあります。」
“純粋ごっこ”と書かれている。
この言葉と、さきほどの、「待つ身は辛いかね。待たせる身が辛いかね。」とを、考え合わせてみるに、太宰は巷で言われているほど、湿っぽい人ではないと思う。怖ろしい魔物が棲みついている。怖いンだよ苦しいンだよと、太宰は身近な人に告白しているが、おそらくその怖さ苦しさは、私のような凡人には到底分からない感覚で、その魔物と終始格闘して果てた、という印象が、とても強いです。
たしか中期の頃、井伏さんの紹介で結婚した時期に、書いた小説のなかに、自分は損な書き方をしていた、というくだりがどこかにあったと思いますが(記憶だけで書いてる 笑)職業作家でいってもいいンじゃないだろうか、と健全に考えていた時期もあったように思います。でもけっきょくは、そちらへ行かなかった。太宰は太宰として死んでいった。私はそれを馬鹿だと笑うことができません。もっと利口にやれるはず。でも利口にやれていたら太宰の文学は死んでいた。周囲に毒をまきちらし、散々に迷惑をかけ、死後何十年経とうが太宰のあとを追い、死んでゆく人々もいるなかで、それでも彼を愛する人々が、大勢いるということは、やはり太宰のひとり勝ち、稀有な才能の成せる技であろうと、ひそかにマニアは思うのでした。。
金木町の新座敷から〜太宰屋太宰治奥野 健男
太宰治論奥野 健男
桜桃とキリスト―もう一つの太宰治伝長部 日出雄
師 太宰治田中 英光