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『すずの兵隊さん』 アンデルセン

すずの兵隊さんすずの兵隊さん
ハンス・クリスチャン アンデルセン

もう、止められません。水のながれが、紙の船を運河へとつきおとしました。それでも兵隊さんは、気をつけのしせいのまま、いっしゅんも、おじけづいたりはしませんでした。

おそれるな、兵士よ、けっして。
たとえ 死が せまっていようとも。

昔話の再話ではない、アンデルセンのオリジナル・ストーリーである。1835年に彼の処女作が世に出てから、3年目のクリスマスに発表されたらしい。子どもたちはこのプレゼントをどう受け取ったのだろう。ずっと昔にだれかが読んでくれた『すずの兵隊さん』を、おさない私はどう受け取ったのか。なんども読み返したつもりはないのに憶えている。「あの片足の兵隊…」だれもが知っているお話のひとつではないだろうか。

古いスプーンから作られたという、25人のすずの兵隊さん、彼らはみんな兄弟だが、ひとりだけ片足の兵隊がまじっている。彼はそのことをべつだんに苦にすることもなく、兄弟たちといっしょに誇り高くしゃんと立っている。ある日彼は玩具のお城の入口に立っていた、紙でできたバレリーナの美しい少女に恋をする。彼女はバレリーナだから片足をうしろに高く上げている。それで自分とおなじ片足に見えたらしい、たちまち彼は夢中になった。……紆余曲折の末、いきなり、なんということもなしに、子どもが兵隊さんをつかみ、暖炉にくべる。ここはお金持ちの屋敷のようだ、絵本には幸せそうに談笑する人々の姿が描かれている。

兵隊さんは、ほのおにつつまれて立っていました。とてもあつかったのですが、それが火のせいなのか、じぶんのむねにもえる愛のせいなのか、兵隊さんには、わかりませんでした。せいふくがやぶれ色あせても、それが旅のせいなのか、かなしみのせいなのか、だれにも知ることはできません。
兵隊さんは、少女を見つめました。少女も見つめかえしました。からだがとけはじめても、兵隊さんは、やっぱり、ライフルをかたに、いっしょうけんめい立っていました。
そのとき、ドアがあいて風がおこり、紙のバレリーナをふきとばしました。少女はようせいのように空中をまって、兵隊さんのとなりにとんできました。


お金持ちの人々は、ここでやっと紙のバレリーナを注目する。
時が止まったように、みんながいっせいに、少女を見つめるのだ。
ふたりは燃えてなくなってしまう。翌日暖炉の灰のなかから、ふたりのものらしいハートのかたまりと、ベルトの飾りが煤けて出てくる。お話は終わり、人々の日常が戻ってくる。

どのような運命・宿命であろうとも、愛と誇りを失うことなく生きつづけることはできる。この世の天国を祈るよりみずから愛と誇りに忠実になることはできる。性急に抹香臭いことを言えば(笑)そういうメッセージが込められているようだ。
ひるがえって現代はどうか。兵隊はこうあらねばらないといったふうな、「あらねばならない」は、たいていの人々にとっては消滅している。と同時に愛と誇りもゆるくなり、ただ漂い自由という拷問にさらされて、各自が1から作り上げるべく模索の日々に惑い悩んでいるかのようだ。まったくの自由は、まったくの不自由だ。愛も誇りも、そもそも必要なのかという問いすら出てくる。必要かどうか、私には何とも言えない、愛と誇りのために、逆に憎しみあい、殺し合うこともあるからだ。しかし何故だろう、片足のすずの兵隊と、紙のバレリーナは、とても幸せそうで、羨ましく見えてしまう。「あらねばならない」が、あたりまえに残っていた時代が、まぶしく見えるときは、そんなときだ。
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