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セリーヌ 『夜の果てへの旅』

『夜の果てへの旅・下』/セリーヌ(生田耕作・中公文庫)より


(…)マドロンと僕は、彼女の小さな提燈で、そいつを、死体を、影の中から、壁の中から、1つ1つ浮かび上がらせはじめた。こいつは観光客を考え込ませるにちがいない! 壁にはりつけられていた、銃殺された人間みたいに、その古ぼけた死者たちは… いまでは皮膚とも骸骨とも衣服ともきめられない… それらをみんな少しずついっしょくたにした感じ… すごく汚れた状態で、いたるところ、穴ぼこだらけ… 何百年このかたつけまわしてきた時間は依然としてこの連中を手放さないのだ… そいつは、時間は、いまもまだ、あちこち、顔のはしばしを引きちぎっていた… 穴をひとつ残らず押し広げ、軟骨の後ろに死神が置き忘れていた長い皮膚の綱束まで見つけ出すのだった。腹はすっかりからっぽだった、がそのために臍(へそ)の穴は小さな揺籠(ゆりかご)ほどに落ちくぼんで見えた。(…)




この地下室には、そいつが大小とりまぜ、全部で26あった、ひたすら《成仏》できる日を待ち望んでいる亡者たち。まだそうはさせてもらえんのだ。骸骨のてっぺんに帽子をのっけた女たち、せむし男、大男、おまけに一人前にくたばり果てた赤ん坊までいる、干からびた小さな首のまわりに、レースの涎掛(よだれか)けみたいなものと、産着(うぶぎ)の小さな切れっぱしをくっつけて。


この古ぼけたがらくたでアンルイユ婆さんは大いに稼ぎまくっていたのだ。(…)マドロンといっしょにもう一度ゆっくり隅から隅まで死体を見廻った。次つぎランプのまばゆい光の輪の中に死体の頭のようなものが声もなく浮かび上がる。眼窩(がんか)の奥にあるものは完全な闇ともいいがたい、それはまだ視線に近いものだ、ただし、もっとやさしいものだ、悟りを得た人間の視線のように。(…)


アンルイユ婆さんは観光客の案内を一度だってかかしたことはないのだ。奴らを、死人どもをこき使っていた、サーカスみたいに。かき入れどきには日に百フランも儲けさせてもらっていた。
「死者たちは悲しそうな顔をしてるじゃありませんか?」マドロンが尋ねた。きまり文句だったのだ。
死は彼女にとって、このかわいい女にとって、なんの意味も持たなかった。彼女は、戦時中に、死の安売り時代に生まれたのだ。僕のほうは人間の往生ぎわがどんなものかよく承知していた。体得したのだ。すさまじい苦しみ。観光客を相手に、この死者たちは満足していると言うのは簡単だ。死人たちは何も言えない、ひからびた皮膚がいくらか残っているときはアンルイユ婆さんはその腹をたたいてみせさえするのだった、するとそいつは《バン、バン》と音をたてる。もっともそれだって万事うまくいっていることの証拠になりはしない。(234p~)





どうよ?(笑)
地下納骨室へと入っていく場面をためしに抜き出してみましたが、最初から最後までこの調子なので、どこもかしこも抜き出したい場面ばかり、選ぶのに少し迷いました、ぜんぶ興味深いです。
セリーヌ(1894~1961)について。解説より。
「パリの場末で貧しい少年時代を過ごし、苦労して勉強を続け、医師免許を手に入れた。第一次大戦勃発と同時に志願入隊、騎兵隊下士官に昇進し、武勲を立てたが、重傷を負い、強い反戦思想を植えつけられる。復員後は、国際連盟事務局に就職し、衛生事情視察の目的で、イギリス、アメリカ、キューバなどを遍歴。その後、パリの場末町クリシーに住みつき、<貧民治療のために>医者を開業、作家生活と平行して、終生医業をつづけた」
「第二次大戦、つづいてドイツ軍占領中は、パリ周辺の無料診療所の主任医師として政治に関係しなかったが、反ユダヤ主義的著作と、一新聞が無断で発表した親独的書簡のために、戦後、戦犯の罪に問われ、デンマークに亡命し、その地で逮捕、投獄される。51年特赦によって帰国。晩年は文壇から故意に黙殺され、不遇と貧困のうちに世を去った(※途中いくつか略しました)」


セリーヌの文学は暗いと言われるけれど、私はそうは思いませんでした。映画で言う“芝居どころ”がふんだんに盛り込まれていて、たとえばセリーヌ的救いがたい人間のエゴイズム、大竹しのぶが演じたら、おもしろいだろうなぁ、と思いました。それにどことなく滑稽なんです。「対象(オブジェ)ではなく、感動(エモーション)をとらえることこそねらいである」と、セリーヌ自身が言うように、感動に忠実(純粋?)に行くということは、生きることの滑稽さをも引き寄せてしまうことになるのかもしれないな、と。この物語の主人公は口が悪くて、たいていのものは引きずり下ろすし、出会いがしらにまずは一発、相手の顔に皮肉を浴びせかけてやらないことには気がすまないという、ほんとうにタチの悪い哀しい人なのだけれども、それはセッパつまった日々を生きる、“ひたむきさ”の裏返しであり、その“ひたむきさ”が滑稽に見えてしまうのではないのかと、そう思いました。
それから、この容赦ない皮肉。セリーヌは貧しい人たちを診ていたし、戦争体験者でもあります。素朴に言って「おなじ人間なのに」という根源的な問いが、そこにあったのではないのかと、想像しました。この辺の事情が「社会主義の革命家」と誤解されたのではないのかな。理論家のトロツキー(Link)が的確に表現しています。「社会主義は希望を前提とする、ところがセリーヌの作品には希望がない。『夜の果てへの旅』はペシミズムの書、人生を前にしての恐怖と、そして反逆よりもむしろ人生への嫌悪によって口述された書物である」と。ほんとに、そんなカンジです。でも私がこう思うのは、今の時代を生きているから、なのですよね。 セリーヌの時代には「無理からぬ状況」だったらしいです。


『夜の果てへの旅』は、しばらく絶版だったそうです。
その間も訳者の生田耕作は、独自に改訳を続けていたそうです。
熱烈な支持をうけての復刻本。
私は初めて読みました。
かな~り、濃いです。



セリーヌ『なしくずしの死』の記事

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