- Newer: ジョルジュ・サンド
- Older: 『イメージの詩』 吉田拓郎
『肉片柳絮』 よこい隆
- 2007-01-06
- 小説(日本文学)
「ここにあなたがいて、あたしを見ています。あたしは、見られて、あとできっと、あなたの眼で、今のあたしを見ます」
この小説は、週刊誌で語る評論家の顔して、“現代”を傍観しているわけではなかった。ちょっと説明がつかないほどに、“現代”を形作る要素が、ほとんど未整理のままに、強烈に放たれている。私なりに、いくつかの要素を拾ってゆきたいが、その前に、この小説、どんな話なのか、文学界に掲載されたらしい勝又さんの評を、無断で作者のサイトから、コピーしてみる(問題がありましたら削除します)。
この小説は、週刊誌で語る評論家の顔して、“現代”を傍観しているわけではなかった。ちょっと説明がつかないほどに、“現代”を形作る要素が、ほとんど未整理のままに、強烈に放たれている。私なりに、いくつかの要素を拾ってゆきたいが、その前に、この小説、どんな話なのか、文学界に掲載されたらしい勝又さんの評を、無断で作者のサイトから、コピーしてみる(問題がありましたら削除します)。
よこい隆「肉片柳絮」(「木曜日」22号、東京都)はちょっとケッタイな小説で、評価に迷う。私は面白がった口だが、受け付けない人もあるだろう。若い女性「あたし」の一人称語りだが、ある朝、ごみ置き場で黒いビニールに包まれた女の片腕を拾ってしまう。彼女は驚きもせず、アパートに持ち帰って愛撫したりベッドに寝かせたり、後では少し食べてみたり、削った肉片を高速道路の横断橋から撒いてみたりする。そして車のタイヤに潰され、微塵となった肉片が宙を満たすだろうと空想を楽しんでいる。一方、彼女はアダルトサイトでのアルバイトをしていて、それは自分の部屋に据えつけたカメラの前で裸の姿態を見せて、契約された不特定多数の男たちに配信する仕組みらしい。画面を通じて顧客、男たちと交信もするその仕掛けが私にはもう一つわからないのだが、ある日モニター画面に一人の男が現れて、あの腕はどうしたかと訊ねてくる。男は自分の愛人を殺してあちこちに捨てたバラバラ事件の犯人なのだが、偶然、彼女が片腕を拾うところを見ていたのだという。しかもそれが、見覚えのあるアダルトサイトの女だと気づいて、ネットを通じて面会に来たわけである。驚く彼女に、自分はこれから自殺するから、事件との関わりなど心配しなくてよいと言って、本当に彼女の見ている前で、もちろん画面越しにだが、首を吊って見せる。この後、死んだ男が残した彼のブログに記された男と女との関係が入り込むのだが、次に驚くのは、画面に警官が現れることだ。つまり犯人を突き止め、彼の部屋に来て、そこでパソコンが彼女と繋がっていることを知って、事件の参考人として語りかけてきたというわけである。インターネットにはこういうことがあるのか、可能なのかと、「文學界」編集部の若い人に読んでもらったが、仕組みとしては充分可能であり、有りえないことではないということだった。とすれば、そういう面のリアリティはあるのだろう。メディアの発達とともにさまざまな、間接的な交信の仕方が生れ、発達しているが、一方、それに見合ったように人と人との生な繋がりを苦手とするような若者が増えて、こんな世界も生れてくるのに違いない。しかし、そういう中でこの主人公が終始イメージし、求めているのは、自分の身替りのような女の片腕が微塵となって空に充満することであったり、蛍の光のような存在となって世界を漂うことであったりしている。読みながら私は新井満の歌う「千の風になって」を思い出したりしたが、人は孤独になればなるほど、魂の行方みたいなものに己の存在を託してみるしかないのかもしれない。(引用おわり)
NHKの紅白に、あのバックダンサーは、裸で踊っているのじゃないのかと、わざわざ抗議の電話を入れた人が100人以上もいるそうなので、良識ある方々のために(受け付けない、タイプの方ね)、最初に書いておきたいが、「ごみ置き場で黒いビニールに包まれた女の片腕を拾った」としても、それを「彼女は驚きもせず、アパートに持ち帰って愛撫したりベッドに寝かせたり」したとしても、「後では少し食べてみたり、削った肉片を高速道路の横断橋から撒いてみた」としても、その嫌悪したい良識というやつを、すでに現実は軽々と越えてしまったところに存在し、目を閉じようが開けようが、現代が抱え込んでしまったおぞましさは消えないだろうと、少しヒステリックに書いてみる。ちょうど試験管に掬った現代の、上澄みをキレイに並べて書けば良識は納得し、逆さにして沈殿したものをオモテに出せば、こんなものは書くなと反発する。小説はまず、そういった良識を捨て、すべての縛りから自由になったところで、ありとあらゆる方法を模索してゆくべきだろうと思う。こういう事件がありました。けしからん。そんなこと、小学生でも分かっている。なぜこういう事件が起こるのか。週刊誌や新聞の社説もこれくらいは掘り下げる。そこから更に、もっともっと階層を深めていく必要がある。小説に登場する人物が、なにかしらの動きを見せるが、その元となる岩漿を捕まえて、腕に抱き、書き手はふたたび1階層目まで戻って来なければいけない。そうやって小説は書かれてゆくのだろうと思う。良識の上に胡坐をかいて、いい人ぶっている場合ではないのである。この小説が提示する現代の言葉らしい文章を、いくつか拾ってみよう。
どうしてみんな無視するのだろう/美鶴(※主人公)を見る視線も、美鶴を見ていない視線も、すべての視線が美鶴を脅かした/腕が、美鶴も呑み込んで、部屋を満たして、美鶴を邪魔者にしている/部屋を我が物顔に占領する腕のようになりたいとも思い/美鶴の身体が天井際にある。床の隅にもある。部屋のどこにも自分がいて、どこにもいなくて、空気に溶けて部屋を満たしている/美鶴の眼の前で、小さかった猫がかぎりなく小さくなって、宙に溢れていく。地面がアスファルトだから、地に還るより宙を満たしていくように思う/トラックが通り過ぎる。ワンボックスが通り過ぎる。軽自動車も、高速で走り去る。またトラックが行く。数十秒おきに、車が腕の欠片を踏み躙り、蹴散らす。車が通るたびに腕の破片が空気に紛れ、溶け、ピンク色に染まる世界が見えた気になり、高速道路に背を向けると、手摺りに凭れて煙草を喫う/腕が、この紫煙のように空気に溶けて、世界に満ちるなら、腕はあたしだから、あたしは腕だから、あたしは世界にいる。あたしが世界に満ちていく/恐ろしいと言ったって、いったいこの映像があたしになにをすると言うのだろう。なにもできやしない。しやしない。だけど、背中が寒い
そして、この小説の最後の方、刑事とのやり取りを抜き出してみたい。
「このチャットの男のことが聞きたいんだけど……」
「なにもしりません」
「なにも?」
「入ってきて、いきなり嫌なことを言うから、画面を最小化したままでした。でもチャットは続いていたから、せっかくだからそのままにしてたんです」
「死んでたんだよ」
「しりません」
「驚かないんだね」
年配の男が睨みながら言ったけど、カメラではなく画面の中の美鶴を睨むらしく、視線がずれている。
「驚かないのは、しってたんじゃないの?」
「しりません」
「とにかく一度、署にきてくれないかな。ちゃんと顔を見て話したいよ」
「顔なら見えてます」
「いや、そういう意味じゃなくてね」
ふたりとも苦笑いになった。
「いやです。かかわりたくないです」
「ただの自殺じゃないんだよ。バラバラ事件、ニュースとかでしってるでしょ。あの事件に関係してるんだよ」
「ニュース、見ません。しりません。はじめての客だったし、なにもしりませんから。あたしとその人が関係ないのは、調べればすぐにわかると思います。あたし関係ないですから。それより、せっかくつながってるんだから、このチャット、ポイントが切れるまで切らないでください。あたしの仕事の邪魔しないでください」
美鶴はふたたび画面を最小化すると、スピーカーとマイクのボリュームを切り、カメラのポイントを外した。(138p)
精神へと下りてゆき、通り越して、肉体へと戻ってきている。その肉体は、ほとんどモノと化し、精神と混然一体となり、しかも、他者と自分自身とを区切る境界線は曖昧なままで、尚且つ保全の目的によって強引にそこに冷たい境界線を引こうとする。それだけではない。
「かなえは、オレの眼に映っている自分のことがしりたかった。オレのことではなくて、かなえがどう見えるのか、どんな人間に見えるのか、それだけがしりたいのだと思えた」
この文章を読んで、私は苦笑してしまった。まるでネット上でのやり取りと同じだと思った。双方向性など嘘に決まっている。みんな言いたいことを一方的に語っているだけだ。抱きたいイメージを、たがいに求め合って(奪い合って)いるだけなのである。切り離された腕の持ち主・かなえと、彼女が執着する男・オレとは、オフラインでの関係だが、オンラインでの関係と、同様に扱われているところに注目したい。いまやオンラインもオフラインも同じだという状態が、現代の姿として示されているのだろう。かなえが知りたいのは、オレのことではなくて、つねに自分自身のことなのだ。つまり、執着しているのは、自分自身だということになる。かなえは、オレのことなど、ほんとはどうでもいいのに、オレに異常に執着する。オレは奪われまいとして、オレを取り戻すかのようにして、かなえから、かなえを奪ってしまう。このことは、美鶴にも言える。彼女がアダルトサイトで肉体をさらしてバイトするのは、他者とうまく折り合いがつけられないためだと説明されているが、ほんとうの理由は別にあるだろう。自分自身に、執着しなければ保てないほどの、曖昧になってしまった肉体を取り戻すため、オレのように、なにかを、誰かを、奪うような素振りも見せずに奪う必要があるのだ。そしてそれを彼女の場合、体内にまで取り込もうとするほどに、事態は切迫しているのだった。
魂のふれあい。肉体の交わりを介して交感する魂。ここでは、他者は、そういう役割を持たされていない。なぜ他者は存在するのか。ただ自分のために、奪うために、他者は存在しているかのようだ。
精神だけでは語れない。肉体だけでは、もはや太刀打ちできない。そんな現代を小説に書こうとすれば、難渋する。それを正面から書こうとした小説だと思う。ほとんど未整理のままに、いや整理できないくらいに現代は複雑に、且つおぞましいのである。切実な叫びを感じた小説だった。
※よこい隆さんのブログはこちら です。
NHKの紅白に、あのバックダンサーは、裸で踊っているのじゃないのかと、わざわざ抗議の電話を入れた人が100人以上もいるそうなので、良識ある方々のために(受け付けない、タイプの方ね)、最初に書いておきたいが、「ごみ置き場で黒いビニールに包まれた女の片腕を拾った」としても、それを「彼女は驚きもせず、アパートに持ち帰って愛撫したりベッドに寝かせたり」したとしても、「後では少し食べてみたり、削った肉片を高速道路の横断橋から撒いてみた」としても、その嫌悪したい良識というやつを、すでに現実は軽々と越えてしまったところに存在し、目を閉じようが開けようが、現代が抱え込んでしまったおぞましさは消えないだろうと、少しヒステリックに書いてみる。ちょうど試験管に掬った現代の、上澄みをキレイに並べて書けば良識は納得し、逆さにして沈殿したものをオモテに出せば、こんなものは書くなと反発する。小説はまず、そういった良識を捨て、すべての縛りから自由になったところで、ありとあらゆる方法を模索してゆくべきだろうと思う。こういう事件がありました。けしからん。そんなこと、小学生でも分かっている。なぜこういう事件が起こるのか。週刊誌や新聞の社説もこれくらいは掘り下げる。そこから更に、もっともっと階層を深めていく必要がある。小説に登場する人物が、なにかしらの動きを見せるが、その元となる岩漿を捕まえて、腕に抱き、書き手はふたたび1階層目まで戻って来なければいけない。そうやって小説は書かれてゆくのだろうと思う。良識の上に胡坐をかいて、いい人ぶっている場合ではないのである。この小説が提示する現代の言葉らしい文章を、いくつか拾ってみよう。
どうしてみんな無視するのだろう/美鶴(※主人公)を見る視線も、美鶴を見ていない視線も、すべての視線が美鶴を脅かした/腕が、美鶴も呑み込んで、部屋を満たして、美鶴を邪魔者にしている/部屋を我が物顔に占領する腕のようになりたいとも思い/美鶴の身体が天井際にある。床の隅にもある。部屋のどこにも自分がいて、どこにもいなくて、空気に溶けて部屋を満たしている/美鶴の眼の前で、小さかった猫がかぎりなく小さくなって、宙に溢れていく。地面がアスファルトだから、地に還るより宙を満たしていくように思う/トラックが通り過ぎる。ワンボックスが通り過ぎる。軽自動車も、高速で走り去る。またトラックが行く。数十秒おきに、車が腕の欠片を踏み躙り、蹴散らす。車が通るたびに腕の破片が空気に紛れ、溶け、ピンク色に染まる世界が見えた気になり、高速道路に背を向けると、手摺りに凭れて煙草を喫う/腕が、この紫煙のように空気に溶けて、世界に満ちるなら、腕はあたしだから、あたしは腕だから、あたしは世界にいる。あたしが世界に満ちていく/恐ろしいと言ったって、いったいこの映像があたしになにをすると言うのだろう。なにもできやしない。しやしない。だけど、背中が寒い
そして、この小説の最後の方、刑事とのやり取りを抜き出してみたい。
「このチャットの男のことが聞きたいんだけど……」
「なにもしりません」
「なにも?」
「入ってきて、いきなり嫌なことを言うから、画面を最小化したままでした。でもチャットは続いていたから、せっかくだからそのままにしてたんです」
「死んでたんだよ」
「しりません」
「驚かないんだね」
年配の男が睨みながら言ったけど、カメラではなく画面の中の美鶴を睨むらしく、視線がずれている。
「驚かないのは、しってたんじゃないの?」
「しりません」
「とにかく一度、署にきてくれないかな。ちゃんと顔を見て話したいよ」
「顔なら見えてます」
「いや、そういう意味じゃなくてね」
ふたりとも苦笑いになった。
「いやです。かかわりたくないです」
「ただの自殺じゃないんだよ。バラバラ事件、ニュースとかでしってるでしょ。あの事件に関係してるんだよ」
「ニュース、見ません。しりません。はじめての客だったし、なにもしりませんから。あたしとその人が関係ないのは、調べればすぐにわかると思います。あたし関係ないですから。それより、せっかくつながってるんだから、このチャット、ポイントが切れるまで切らないでください。あたしの仕事の邪魔しないでください」
美鶴はふたたび画面を最小化すると、スピーカーとマイクのボリュームを切り、カメラのポイントを外した。(138p)
精神へと下りてゆき、通り越して、肉体へと戻ってきている。その肉体は、ほとんどモノと化し、精神と混然一体となり、しかも、他者と自分自身とを区切る境界線は曖昧なままで、尚且つ保全の目的によって強引にそこに冷たい境界線を引こうとする。それだけではない。
「かなえは、オレの眼に映っている自分のことがしりたかった。オレのことではなくて、かなえがどう見えるのか、どんな人間に見えるのか、それだけがしりたいのだと思えた」
この文章を読んで、私は苦笑してしまった。まるでネット上でのやり取りと同じだと思った。双方向性など嘘に決まっている。みんな言いたいことを一方的に語っているだけだ。抱きたいイメージを、たがいに求め合って(奪い合って)いるだけなのである。切り離された腕の持ち主・かなえと、彼女が執着する男・オレとは、オフラインでの関係だが、オンラインでの関係と、同様に扱われているところに注目したい。いまやオンラインもオフラインも同じだという状態が、現代の姿として示されているのだろう。かなえが知りたいのは、オレのことではなくて、つねに自分自身のことなのだ。つまり、執着しているのは、自分自身だということになる。かなえは、オレのことなど、ほんとはどうでもいいのに、オレに異常に執着する。オレは奪われまいとして、オレを取り戻すかのようにして、かなえから、かなえを奪ってしまう。このことは、美鶴にも言える。彼女がアダルトサイトで肉体をさらしてバイトするのは、他者とうまく折り合いがつけられないためだと説明されているが、ほんとうの理由は別にあるだろう。自分自身に、執着しなければ保てないほどの、曖昧になってしまった肉体を取り戻すため、オレのように、なにかを、誰かを、奪うような素振りも見せずに奪う必要があるのだ。そしてそれを彼女の場合、体内にまで取り込もうとするほどに、事態は切迫しているのだった。
魂のふれあい。肉体の交わりを介して交感する魂。ここでは、他者は、そういう役割を持たされていない。なぜ他者は存在するのか。ただ自分のために、奪うために、他者は存在しているかのようだ。
精神だけでは語れない。肉体だけでは、もはや太刀打ちできない。そんな現代を小説に書こうとすれば、難渋する。それを正面から書こうとした小説だと思う。ほとんど未整理のままに、いや整理できないくらいに現代は複雑に、且つおぞましいのである。切実な叫びを感じた小説だった。
※よこい隆さんのブログはこちら です。
- Newer: ジョルジュ・サンド
- Older: 『イメージの詩』 吉田拓郎
- contact
- Search

