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『テレーズ・ラカン』 エミール・ゾラ

初期名作集 ゾラ・セレクション「生半可な親切さと、むかつくような優しさで、わたしは動物みたいに飼い慣らされてしまった。わたしもうそをつくようになり、ずっとそうしてきた。いつかはぶってやろう、噛んでやろうと夢見るだけで、おとなしく、おしだまったままの女になってしまったの」(48p)

藤原書店の『初期名作集 ゾラ・セレクション』には、テレーズ・ラカン(1867年)と共に、みじかい小説が7本入っている。引き立て役(1866年)、広告の犠牲者(1866年)、ある恋愛結婚(1866年)、辻馬車(1868年)、猫たちの天国(1868年)、コクヴィル村の酒盛り(1879年)、オリヴィエ・ベカーユの死(1879年)。その他、テレーズ・ラカン第2版への序文と、ゾラへ宛てた評論家の手紙も加えられ、ルーゴン=マッカール叢書以前のゾラと出会える1冊となっている。
テレーズ・ラカンは何度も映画化され、舞台でも繰り返し演じられてきたようで、検索すると、まぁヒドイ感想文がいっぱい出てきてしまい、退屈な主婦が不倫によろめく話だとか…(笑)、原作は、まったく違っている。ざっと粗筋を書くと、親に捨てられた子・テレーズが、ラカン夫人に育てられ、惨めな少女時代を送り、夫人が溺愛する息子・カミーユとやがて結婚するも、激しく欲望に突き動かされて、カミーユの友人・ロランと肉体関係になる。この2人はべつに愛し合っているわけでもなんでもなくて、ただ欲望が出会っただけなのだ。テレーズという事情を抱えた女と、ロランという性質の男が出会い、やがて恐ろしい事件へと発展していく。おそらく現代ではこの2人の関係を、“都合の良い関係”と解釈するだろうが(だから、よろめき、なのね)、粗筋では何も分からない、ゾラは執拗にその後を描いている。その後とは、つまり、夫・カミーユを殺害したあと、この2人がどうふるまうのか、じつはこの部分が、テレーズ・ラカンの一番の見せ場となっているのだ。1/3程度でカミーユ殺害は終わってしまい、残りの2/3を使い、テレーズとロランを閉じ込めてしまう。息苦しいほど密着し合った人間と人間の肌の擦れ合い。それをゾラは、「わたしが観察したかったのは、性格(キャラクテール)ではなく、体質(タンペラマン)であった。」などと、さっぱりとした口調で語っているが、とんでもない! 当時の医学・生理学を駆使して書かれた小説のようだが、現代の医学の常識では首を傾げる箇所も散見されうるだろうが、そんなことはどうでもいいのである。私は書かれてしまった小説を読んでいる。医学を勉強しているわけではないのだ。当時の批判をかわすためにも「観察しているだけだ」とここは強く言いたかったのだろうが、そのつもりで読むにしては重苦しく、裸の人間が、のたうちまわっている。見事な仕事ぶりで、ルーゴン=マッカール叢書ほどの複雑さはないが、鬼気迫る初期の作品として、ゾラの才能には感嘆せざるをえない。

「やむにやまれぬ肉体的な欲望を、殺人が、しばし鎮静させてくれたかのようだった。カミーユを殺すことで、彼らは、骨も折れんばかりに抱きあって満たすことのできなかった、あの飽くことをしらぬ熱烈な欲望を充足させてしまったのである。殺人は、抱擁をも、吐き気をもよおす、うんざりするものにさせるほどの、熱烈なる快楽と思われたのだ。」(111p)

ここでは、性的オルガスムが殺人という快楽と表裏一体をなしている。そして、エロティシズムの本質が法を犯すこと、社会・人倫への侵犯性にあるとしたら、このふたりが結婚したとて、そのおぞましい欲望を充足できるはずもない。そもそも当初から、エロスがタナトス(死の本能)の餌食になっているかに思われる。テレーズとロランの悲劇を見ていると、「呪われることとは、もっとも実体のある祝福への道である」(『文学と悪』)というバタイユの逆説が浮かんでくるのだ。(解説より引用)

愛し合ってもいない2人が肉体を交わし、さらに殺人まで犯し、結婚しても満たされない理由は何なのか。それに答えているのが↑の文章だろう。すこし話はズレるけど、この解説文は示唆に富み、優れていると思う。身元不明の死体を陳列する、当時の死体公示所(モルグ)の床が、この小説の舞台となった暗く湿ったポン=ヌフ小路のタイルの床と、2人が最初に情交を持つ床とが暗示的に繋げられているという指摘もある。なるほど、と思った。それも、1つの理由だろう。カミーユの亡霊に悩まされ、2人で一緒にいれば怖くないと思う、そういう所も、ゾラは、もらさずに描いてもいる。漠とした復讐を感じる。彼らはなぜ、貧しく悲惨な人生を生きなければいけないのか、その理由を知らされていない。宗教が代わりに重荷を背負い、理由を与えてくれる時代は、ゾラの生きた時代ですらもすでに終わってしまったのだろうか。その隙間を彼らは欲望で満たし、埋めようとした。埋めても埋めても満たされない隙間であった。彼らの欲望はすべて穴埋めに費やされた。それはまっすぐに死へと向かっていた。

スキャンダラスな作家、エミール・ゾラは、初期の頃から、批評家たちの、罵詈雑言に耐えていたようだ。第2版への序文では悲痛な声を上げている。

「わたしは単純素朴にも、この小説には序文などなくてもいいと思っていた。自分の考えをはっきりと述べて、どんな細部もめりはりをつけて書くことをならわしとしてきたから、あらかじめ説明などしなくても理解してもらえるだろうし、きちんと判断していただけるものと思いこんでいたのだ。だが、どうやら、わたしはまちがっていたらしい」

という書き出しだ。とても怒っている。嘆いている。すこし抜き出してみると…、

「批評は、本書を、手荒く、憤慨した調子で迎えた。ごりっぱな連中は、これまた、ごりっぱな新聞紙上で、いかにも不愉快そうな顔をしてみせて、本書を火箸かなんかでつまんで火にくべようとした。毎晩のように、閨房やら、レストランの個室をめぐるゴシップを掲載している文芸小新聞にも、きたないとか、むかつくとかいって、鼻つまみもの扱いされた。(略)きまじめな書き手たちが、堕落だ、退廃だとわめきたてるのを聞かされても、彼らが、なんだかわからずに、やみくもにわめいていることが、はっきりわかってしまうと、これほど苛立つこともない。(略)厚化粧した女優が舞台で飛び跳ねれば、喝采するくせに、生理学的な研究に対しては不道徳だと絶叫するという、批判のみぶり自体が、そもそも的はずれなのだ。」

それから約4年後、ルーゴン=マッカール叢書の第1巻目となる『ルーゴン家の誕生』を書いたが、普仏戦争のため中断の憂き目にあい、休戦後もコミューンの蜂起などにより、まったく話題にならなかった。ゾラが文壇に躍り出たのは、第7巻目の『居酒屋』(1877年)である。ここで初めてゾラは、作家として生活できるようになった。とはいえ、罵詈雑言は相変わらずで、ゾラは終始悩まされてもいた。そういえば『居酒屋』の序文も、『テレーズ・ラカン』のそれと大差なかった。同じことを言い続けている。しかし彼は惑わされることなく自分の仕事を着々とこなして行く。20年以上かけて、全20巻もの叢書を書き終えたのだった。その助走時代の『テレーズ・ラカン』を、私は現代の小説として興味深く読んだ。この小説の序文には、こういう文章もある。

「『テレーズ・ラカン』を書いているあいだ、わたしは、世間のことは忘れて、人生の綿密にして、正確な模写に没頭し、人間というメカニズムの分析に全身全霊を注いだのであって、わたしからすれば、テレーズとロランの過酷な愛は、いささかも背徳的なものではなく、そこには、悪しき情欲に人を駆りたてるようなものはなにもないことを断言しておきたい。」(275p)

ゾラの小説には、この精神が貫かれていると思う。

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