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『獣人』 エミール・ゾラ

獣人 ゾラセレクション(6)獣人』(1890年)は、ルーゴン=マッカール叢書の第17巻目となる。
当初の計画通り、フランス第二帝政期を背景として、アデライード・フーク(通称ディッド叔母)を祖にした一族が、社会のあらゆる階層へと向かい根を張り枝分かれていくさまを、当時の医学、心理学、生理学などを駆使してダイナミックに展開させていったが、そのなかでも本書は犯罪と鉄道という2大テーマを統合させた、ゾラの作品中もっとも血が流れ死体の山が築かれた、パリ全体に悪夢を見させる凶暴なドラマとなっている。

このことは執筆前に予め決められていたようすで、まず登場人物の階層を5つに分けて、それから叢書全20巻をそれぞれのテーマに沿って描いていくのだが、19巻目の『破壊』と20巻目の『パスカル博士』は「戦争小説」と「科学小説」にしようと早い段階で決まっていたようで、18巻目の『金』まもた、「証券取引に関する小説」にするつもりだと友人のジャーナリストへの手紙にしたためている。
そこで残された1つの枠(17巻目)に、ゾラ的に充てたいテーマとして「犯罪」と「鉄道」のふたつを並べ、けっきょくゾラは両方とも採用して、「鉄道という枠組みのなかで何らかの恐怖のドラマを仕立て、司法界も見通せるようにした犯罪の研究を行おうと思う」と友人への手紙に書き記している。

「犯罪」は分かるけれども、なぜ「鉄道」なのか。
1890年に書かれた小説を今開いて読めば、なぜ「鉄道」なのかと首を傾げるむきもあるだろうが、この本の解説によると、フランスの場合、馬に牽引させてはじめて鉄道による貨物輸送を行ったのは1828年のことで、『獣人』の舞台となるパリ~ル・アーブル間を結ぶ西部鉄道路線については、フランス最初の旅客輸送をするパリ~サン=ジェルマン=アン=レ間の18キロが、1837年に開通しているそうだ。そこから少しずつ線路を延ばしていくわけだが、鉄道に対する当時の熱狂ぶりは異常なほどで、『19世紀ラルース大辞典』の「鉄道」の項目には、「鉄道! このことばはなんと魔術的な響きをもち、栄光に包まれてどんなに光り輝いていることか。それは私たちの眼には文明と、進歩と、友愛の同義語として映る」と、辞典なのに、感情的な書き出しで始まっているそうだ。
さらに、鉄道の建設が始まったことにより、ダイヤグラム編成の必要性がでてきて、全線に渡って全時刻表示を統一させなければ各駅ごとに混乱をまねき、事故を誘発しかねないということで、グリニッジ時間を標準時として定めるに至ったそうだ。
これは大きな変化である。社会的にも人間そのものをも大変革させる出来事だったと言っていいと思う。時間は神に属するものだったのが、教会とは別の都市の時を告げる時計が作られて、それが権力の象徴となり、鉄道がひかれることによって時間は統一され、やがて資本主義と結びついて生産の効率化を求めていくようになる(詳しいサイト様)。第二帝政期は、フランスの産業革命が完成した年でもあったのだ。

ただ鉄のかたまりが時間通りに行ったり来たりしている、その箱のなかで何か犯罪を犯す、それを小説に書いたら面白いだろうな…、などといった鉄道小説(と言うのかしら?)を狙って、ゾラは「鉄道」を選択したわけではないだろう。もちろん、そういう読み方もできるけれども(この本の帯には「鉄道ミステリーの先駆」と書かれているけれども)、トリックの妙に犯罪を加味した程度の小説ではなくて、文明の輝かしいシンボルだった「鉄道」を、さいごの鉄片まで引っ剥がして裸にしてしまったのが、この怖ろしい小説『獣人』なのである。

人間は皮を剥げば骨が残るだろうが、鉄道は裸にしてしまえば何も残らない。その何も残らない空っぽの鉄の箱に、命を吹き込む者がいる。ランチェとジェルヴェーズ夫妻の二男、ジャックである。
彼は西部鉄道の一等機関士であり、彼の操る馴染みの機関車のことを、「ラ・リゾン」と彼は女名前で呼び、親密な関係を結んでいる。「ラ・リゾン」は生きもののように躍動し、荒々しく息を吐き、そしてさいごには笊に盛った食べかすを庭先に捨てるように、空っぽの鉄の箱に詰め込んだ人間たちの命を、いっぺんに放り出してしまうのである。そのさまが、ゾラの執拗な活写によって、残酷に描かれていくのだ。
このような擬人化は人間中心主義的だとされ、いまでは批判の対象となるのだろうが、注意して読みたいのは、ゾラが擬人化を好んで用いたというよりも、小説内の出来事として、必然的に擬人化を引き寄せたと言ったほうが、この小説の主題からして正しいように思うのだ。つまり、人間中心主義的だとして読むにしても、それはインフラを積極的に整備していったフランス第二帝政期での、1シーンに過ぎないということなのである。

なぜゾラは、これほどまでに、「ラ・リゾン」に息を吹き込みたいのか、それを考えたい。いや厳密に言うと作者ゾラではなくて、ジャックのことだ。しかも彼はじぶんの機関車を、男の名ではなく、女の名で呼んでいる。この小説内でジャックが背負わされた役割は、ちょっとここにサラリと書けるほど単純ではないだろう。しかし、よくよく耳を澄まし目を見開いて向き合えば、理屈ではない部分で深く肯けるものがあると思うのだ。
平たく言ってしまうと、彼は変質者で性欲と殺人がイコールで結ばれている。彼方へと忘れ去られ、消滅したはずだと思い込んでいる、太古の野蛮さが、或る一線を越えて退行していくのである。食欲と性欲はもっとも強く我々自身を突き動かすだろうから、彼の退行現象は現在も温存されていると言ってもいいかもしれない。もちろん、だからといって、彼の変質者ぶりがすべての人々に当て嵌まるなどと、短絡的に書きたいわけではない。文明の輝かしいシンボルだった鉄道が、暴走する。鉄道は裸にしてしまえば何も残らない。その空っぽの鉄のかたまりの内側に、ジャックは命を吹き込んだ。ここに有るものは、産業革命が断ち切った、あらゆるもの同士の分断であり、代わりに吹き零れていく人間すらも不在となった底のない欲望である。コントロール不能な欲望は一線を越えた退行現象と似ている。そのカタチはさまざまだが、ジャックの変質者ぶりは、そのパターンの1つ、けれども、大本を手繰ってゆけば、同じことだ。

「ああ! 大した発明だね。とやかく言うことはないよ。速く行けるし、ますます物知りになる……でもね、野獣は野獣のままさ、それにまだもっと上等な機械を発明したって無駄だろうね。そのなかにはあいかわらず野獣が潜んでるかもしれないから」(62頁)

ファジーおばさんの言葉はじつに的を射ている。
もっと上等な機械を発明したところで、上等になったのは機械のほうで、人間ではない。周りの景色が変わると人間も変わった気になる。そしてますます吹き零れていく。我々は欲望を見失っているとも言える。過剰な欲望は目的を失い、欲望のための欲望となり、鉄のかたまりが空っぽになっていくように、我々自身も空っぽになっていく。鉄道はまるで人間そのものである。擬人化というよりも、我々の欲望の姿そのものとして、ゾラは機関車を暴走させてゆくのだ。

「機関車が途中で犠牲者を出したところでなんであろう! 血が飛び散ることなど気にもかけず、機関車はなおも未来へ向かって進んでいくではないか! 機関車は死のなかに放たれた。眼も見えず、耳も聞こえない獣のように、機関士もなく闇のなかをただひたすら走っていった。積荷の肉弾兵たちは、すでに疲労でぼーっとなり、酔っぱらって、歌を歌いつづけていた。」(509頁)

これまでの発行部数でみると、『ジェルミナール』、『居酒屋』、そして第3位に、この『獣人』が入っている。『獣人』は、ゾラの円熟期に書かれた傑作のひとつで、私は機関車とジャックの表面を、この記事内でツラッと撫でてみたが、手繰れば手繰るほどに出てくる小説である、ゾラ小説3番人気なのは、じゅうぶんに肯ける面白さだと思う。

関連書籍
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ボヌール・デ・ダム百貨店―デパートの誕生
愛の一ページ
パリの胃袋


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