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『いのちのレッスン』 新藤兼人

いのちのレッスン小説を読むあいまに開くつもりで、活字も大きいし、ちょっとした気分転換にちょうどいいだろうと、そのつもりで用意しておいた、『いのちのレッスン』。私小説作家ならぬ、私映画監督、新藤兼人さんは、1912年(明治45年)広島県生まれ。1942年(昭和17年)にシナリオライターを志して溝口健二さんに師事し、松竹を経て、1950年(昭和25年)近代映画協会を設立すると、翌年、初の監督作品『愛妻物語』をつくった。おもな監督作品は、『原爆の子』『裸の島』『鬼婆』『ある映画監督の生涯』『午後の遺言状』など…。

そんな重鎮の本を膝にのせ、足を組み、椅子の背もたれに、ふんずり返って、まぁどこでもいいやとページをめくったら、こんな見出しが。

「ベテランという名の“ニセモノのプロ”」

偉そうな人生訓など、この本には書かれていない。きちんと椅子に腰掛けて読みはじめる。私の意見など、どうでもいい。ともかく抜き出してみる↓

「ベテランという名の“ニセモノのプロ”」
わたしはわが身を振り返り、いつも言い聞かせていることがある。それはシロウトでいたいということだ。六十年以上も映画一筋に歩んできて、今さらシロウトとはなんだ、といわれそうだが、どんな仕事でもほんとうのプロは、アマチュアの精神をもった技術のプロだと思っている。
わたしは映画のことは何も知らなかったが、フィルムの魅力にとりつかれ、この世界へ足を踏み入れた。わたしをかきたてたのは、幼児のように無限に広がる好奇心だった。(218頁)

「二00七年問題」
年寄りの力を侮ってはいけない。経験という蓄積はすばらしい財産である。とくに映画を作るときは、ベテランが必要である。しかし、それだけではダメで、ベテランだけが集まると、安全策が強く出てしまう。未知の世界に切り込む気力にかける。そこでベテラン集団に大学を出たばかりか、あるいは学生くらいの若者を三、四人参加させる。
若者の頭のなかは、可能性でいっぱいなのだ。なんでもやりたいのだ。ああ撮ったらどうか、自分ならこうしたい、といってくる。その新人グループと、ベテラングループとの戦いに、わたしは大いに期待する。これが上手く機能すると、俄然、映画作りは活気を呈する。創作集団として生き生きと躍動するのだ。(165頁)

「百姓の子という“シッポ”」
人には、生まれや育ちがもたらせた“シッポ”がある。それから目を離してはいけない、と思う。(略)
わたしのシッポとは何か、と考えると、百姓の子に突き当たる。
見渡すと気が遠くなるような広い田の何万という稲の株を、一個一個起こしていく母の粘り強さを受け継いでいる。今の時代、誰もがすぐにどこかに到達したいと思っているが、百姓の子のわたしは、いっぺんに百歩歩くことはできないと、信仰のように思っている。
ぽつぽつ行っても田は濁る――わが集落の百姓たちは、いつもこういっていた。秋、稲を収穫すると稲株を起こし、鋤(すき)を入れて畝(うね)を作って麦を撒く。春、麦を刈り取って鋤を入れて畝を壊し、稲作のための田を作る。
ぽつぽつ行っても田が濁る、と百姓がいったのは、急がなくても一歩一歩しっかりとやれば、田は濁ってできあがる、ということである。自然に向かって一年中戦い、働きつづけている百姓の言葉である。ここにわたしのシッポがある。(167頁~)

「真面目にやっていればいい」
最初の妻久慈孝子さんは、わたしより四歳年下だったが、わたしは彼女から人生の大切なことを教わった。人間はいつも真面目にやっていればいいんだ、とよくいっていた。
誰でもそうだと思うが、人間は自分の仕事や生き方が固まる以前は、ビクビクして生きている。自信がありそうに見えてもじつはビクビクしている。自分の力ではどうにもならない。とくにわたしはそうだった。
そんなとき、久慈さんは大丈夫だという顔をずっとしていた。真面目にやっていればいいんだと。(略)このころ、わたしは、師である溝口健二監督から、「きみの書くものは、シナリオではありません。ストーリーです」といわれた。溝口監督に、才能がない、と烙印を押されたのだ。
つまり体裁はシナリオだが、ドラマがない。人間が描けてない、ということだ。本物のシナリオとはなんなのか、わたしにはわからない。どん底に突き落とされ、道行く人すべてが、わたしを指さして笑っているようにさえ、思えた。
「次にいいものを書けばいい。真面目にやればいい」
久慈さんは例の大丈夫という顔で動じない。そこでわたしは、度胸を決めて『近代劇全集』、『世界戯曲全集』の両方を合わせて八十巻を読むという作業を、一歩からやり直した。シェイクスピアもチェーホフも、イプセンもエドモン・ロスタンもユージン・オニールも、すべてをわたしのからだのなかに叩き込みたかった。これには約一年半かかった。
今のように暖房が十分でない戦時中のこと、夜遅くまで本を読んでいると膝が冷える。久慈さんは、わたしが好きだった紺のスカートに裏をつけて太めの前掛けを作ってくれた。それを巻いて座ると、あたたかくなった。あの当時、わたしは久慈さんにすがって生きていた。久慈さんに救われた。(112頁~)

「男にとっての女」
ドラマのなかの女は、たくさん書いてきたが、じつは一人か二人の女しか書いていないような気がする。男は誰でも、生涯に出逢う女は一人や二人ではあるまいが、真に深い関りをもつ女は、ただの一人なのだ。いや、一人ではない、という男もいるだろうが、一人の女を追っているのだ、とわたしは思う。(83頁)


無機質な活字は紡ぎ出され、古いが新しい妙味、読まずにいられない温もりがある。新藤兼人さんは今でもエンピツで原稿を書いているという。ワープロもパソコンも見向きもしない。一画一画、エンピツで文字を刻みたいのだそうだ。もうすぐ、100歳。撮りたい映画はあるが、その莫大な制作費をどこから捻出するか。だがぜひ撮りたいと、熱烈に語っていた。
いまだ現役の重鎮は、威張る暇もなければ嘆き呆ける暇もないようだ。映画に心をそそぐ情熱の在りようが、夢中の人らしく、カッコイイ。


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