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『小説家』 勝目梓

『小説家』 勝目梓命が絶える日が目前に迫ってきても、彼の頭の中にあるのは息をしている現在ただいまのことだけで、過ぎた昨日のことも、くるかこないかわからない明日のこともおそらくは考えようとしないだろう。彼はそういう男なのだった。(423頁)

勝目梓さんの『小説家』はこの言葉で締め括られている。エッセイではない、小説である。「半生を振り返る初の自伝的小説」と紹介されていた。「彼はそういう男なのだった。」とこの一行を書きたいがために『小説家』は書かれたかのようだ。“そういう男”だったとしか言いようがないのである。“そういう男”を小説としてそのままに書くことでしか表現できない小説なのである。

“そういう男”を小説として、そのままに書くためには、少なくとも“そういう男”と正面から向き合う必要がある。その勇気、業の深さ、大変なものである。この姿こそが小説家としての在るべき姿だろうと思う。読者自身についても同じことが言える。共感するとかしないとか、そういうレベルではないのである。読者すらも“そういう男”と向き合うことを強いられている。もちろんどう解釈するかは読者自身に委ねられている。汚くてギョッとすると感じる人、せつなくて愛しいと感じる人…、(これは勝目さんの小説にかぎらず、どの小説に於いても同じことが言えるだろうけれど)いずれにしても、繰り出される本気の言葉は、読む方も本気で痛いのである。「彼」と一緒に痛いめに遭い、「彼の女たち」と一緒に痛いめに遭うのだ。
いつから文学は、共感のみを求められる一服の癒し絵に成り下がったのか。ページを開くとともに突如現れる“そういう男”をなんの痛みもなく飲み下すことなどできる筈がない。「アタシ、こういう人、嫌い」、で消費者は、済ませてしまうけれども、嫌いと言っても「彼」は存在し続けてきたのである。そして、たいていの人々は、嫌いと言われても存在し続けて行かなければいけないのである。「彼」と同じように。

しかし、ここで言う、正面から向き合うとは、なんの抵抗もなく自分自身を脱ぎ捨てていく、苦痛を克服してさらけ出す、といった意味ではなかった。簡単に言うと、脱ぎ捨てることができなかったという告白がなされている。それが芥川賞、直木賞両候補にまで名前が挙げられていたにもかかわらず、それまで歩んできた文学の道を断念せざるをえなかった理由として「彼」が示した内的葛藤だった。引用が長いけれど、こんな具合だ↓。

…「玩具の花」の選評の中で、永井龍男は次のように述べている。
<「玩具の花」は、一番完成された作品で、金魚鉢の中の動きを眺めているような印象を受けたと同時に、若い作家を想像すると、誰がそれを割るのかというような焦燥を抑制することが出来なかった。>
これは実に巧みな比喩で彼の作品の弱点と問題の本質を突いた、彼にとっては悶絶するしかないような評言だった。
金魚鉢を割らなければ、自分の真の意味での文学的な地平は開けないのだということは、彼にも重々わかっていた。それと一緒に、鉢を割られて外に放り出されたら、金魚たちがまちがいなく死んでしまうことも、彼にはわかっていた。彼にとっては金魚鉢こそが、自分の作品世界を構築する上の唯一の足場であり、手がかりとなるものだった。彼はそれを捨てて、別の新しい足場と手がかりを手に入れようとして苦闘をつづけていた。
それは彼にとっては、ほとんど絶望的な闘いだった。彼は中上健次と違って、自分の中にのめりこんでいくのが苦痛でならなかった。自分よりも他人との係わりのほうに興味が向いていく。自分のことを語ろうとすると、気後れと気恥ずかしさと厭わしさを伴うためらいが先立ち、心に痙攣のようなものが生じるのだった。その底には、自分のことをつまらない人間だと思ってしまう根拠不明の劣等感のようなものが生み出す、しかしかなり明確な自己嫌悪の想念が潜んでいた。(略)
彼は素直に自分を語ることができなかった。劣等感が虚栄心の裏返しの反映であることも、彼は自覚していた。卑下自慢の趣味も彼は持ち合わせていなかった。そんな自分自身の内的世界と向き合い、それを小説で語ることは、ともに彼にとっては鉛の海に潜るような苦行に思えた。鬱陶しくてならないし、いくらも潜らないうちにすぐに思考は酸欠状態を起こすのだった。彼が酸欠状態に陥ることなく己を表出するとなると、斜にかまえるか、ある種の韜晦(とうかい)めいた術に拠るしかなさそうだった。しかしそれはいかにも厭味な姿勢である。われながら鼻持ちならない。そう考える彼が、気分という捉えどころのないものを手がかりとして自己を作品に投影させようと思いはじめたのは、窮余の一策には違いないのだが、必然の結果でもあった。
そうして、金魚鉢は彼にとっては、曖昧模糊として捉え難い気分を作品世界に固定するための、必要不可欠の装置であり、同時に自分自身の内面世界に潜っていくときの箱眼鏡の役をするものとして導入されたのだった。しかし本来は、現実世界と向き合っている人間の心の姿を描くのが文学の役目であり、その世界も人間も金魚鉢に囲われて存在しているものではもちろんない。したがって金魚鉢に依って成立する作品世界は文学と呼ぶに価しないという三段論法は、原理的には成立する。
自分の才能に対する疑いは、そうした経緯を辿りながら、次第に深まっていった。同時にそれは、自分の本格的な文学の才能と資質に対する絶望を深める道筋にもなっていた。自分に多少の才能が与えられているとしたら、それは毒にも薬にもならないようなちょっとしたお話を、コントのように軽妙に語って見せるといった程度のものであって、人の魂の深部に触れるようなものが書けるタマじゃない――そういう自分自身の声が彼の中に聴こえはじめてきたのもその頃だった。(略)
彼は金魚鉢の作品を書くことを止めた。途端に書くものはいたずらに晦渋(かいじゅう)になり、あるいは生硬なものになって、作者の酸欠状態そのままに作品の息遣いもかぼそく苦しげに聴こえてくるのだった。自分が迷路に踏み込んでいることは、彼にもわかっていた。それでも彼は書くことを止めなかった。朝五時に起きて、出勤までの時間は机に向かうということを欠かさなかった。遮二無二(しゃにむに)書いていれば、いつか迷路の出口が見つかるはずだと思って自分を支えた。滝壺に落ちた者が、必死に水を掻くことによって、水面に顔を突き出すことができるように――。(306頁~)

内的世界と向き合っていると思う。金魚鉢の鉢は壊されている。これでもまだ足りないのだろうか。文学の道はより険しいものなのだろう、「彼」は、これで良しとはしない。いや当時はできなかったのだという言い方もできるだろうが、今できて当時はできなかったという理屈はおかしい。できる人は最初からできるものだと思う。
この前の記事に書いた新藤兼人さんの最初の奥さん、久慈孝子さんだったら何と言うか。世間に認められても、認められなくても、きっと大丈夫だと、その一点張りで、信じ難い心も信じさせてくれたかもしれない。ともかく、「彼」は、それでも書くことを止めなかった。その体臭めいたものすらにおってくる。切実な情熱を感じる。自分を支えるのは自分ひとりきりだった。「彼」の孤独な闘いを想像した。

ここに出てきた中上健次は、「彼」が所属していた同人誌『文藝首都』の仲間だった。中上について書かれたくだりも、ついでに抜き出してみよう↓。

中上健次は彼よりも一年ほど後になる昭和四十年(1965年)の後半期に『文藝首都』に加わった。その登場のシーンはまことに印象的だった。彼の知る限りでは、自作を一作も発表していないうちに同人誌の合評会に出席して、そこに並べられている作品のすべてを全否定してみせた勇敢な『文藝首都』のメンバーは、中上健次の他には誰もいない。
「おれ、中上健次と言います。十九歳です。田舎から出てきたばかりです……」
手をあげて立ち上がった中上健次は、そのような自己紹介の後で、その日の合評の対象となっている作品を片端からこきおろしはじめた。(略)
しかも、その口から叩き出されてくるのは、蛙を解剖するのに大鉈を持ち出してくるような、文学の原理を振りかざしての評言で、作品評というよりも作者の文学観を問うといった体(てい)のことばかりなのだから、否定のための否定とされても仕方がなかった。斬られたほうにしてみれば、生意気を通り越した失礼千万な若造としか思えなかったことだろう。(略)
それから程なくして、中上健次は「俺十八歳」という短篇小説で『文藝首都』誌上に初登場した。紀州熊野の地を舞台にして、少年の身辺の出来事を生きいきとスケッチした作品だった。若い書き手の少ないこの同人誌の中で、少年の心と肉体が荒々しく躍動しているようなこの作品は、まちがいなく異彩を放っていた。
合評会ではしかし、中上健次のデビュー作も、おおむね不評だった。その中には、それまでの合評会での借りを返してやろうといったような、意趣返しを含んだ評もあったかもしれない。(略)
その後も中上健次は『文藝首都』に精力的に、小説や詩を発表しつづけた。そしてそれらの作品には、大江健三郎の影響かと思われる色合いが、次第に濃く現れるようになっていった。中上本人にとっては、模索の時期だったのだろう。
あるとき、合評会の後の酒の席で、同人の一人が中上に向かって、おまえは大江健三郎のエピゴーネンだと言い、それに対して中上が身をよじり、涙で目をうるませて抗議するといった一幕もあった。相手は中上健次の父親ほどの年齢の古参の同人だった。自負心の強い中上健次にとって、エピゴーネンと言われることほど悔しいものはなかったはずである。
すぐ横で二人のそのやりとりを聞いていた彼は、それほどまでに悔しがる中上がばかに子供っぽく思えて、笑った。誰だって最初は誰かのエピゴーネンとして歩きはじめるのであって、問題はどうやってそこから脱却して独創に至るかなんだから、気にすることはないじゃないかという彼の慰めのことばも、そのときの中上健次の耳には入らなかった。(290頁~)

抜き出すと、きりがない、笑。
すでに記事が長くなってしまった。

森詣でについても、『小説家』には書かれている。森敦さんのところへ小説書きが詣でるという、あの話だ。具体的にどういうふうに行われていたのか、「彼」が体験したこととして書かれていた。お時間のある方は、どうぞ手にとって読んでみてください。

こうして読んでみると、『小説家』は、勝目梓マジックだ。
読ませる技術が随所に織り込まれている。だから小説なのである。長年努力して培った技術のたまもの、『小説家』を成り立たせているものは、けっきょく勝目さんが勝ち取った小説なのだった。“そういう男”も、悪くないと思う。

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