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わがままな意識は大人になる~主人と奴隷

『ヘーゲル・大人のなりかた』/西研(NHK BOOKS)より


(欲望の経験)
ヘーゲルはいう。対象のほうから自発的に自分を肯定してくれるのでなくては、真の満足、真の自由は得られない。そういう対象とは、自然ではなく、他の自己意識(他人)である。他人が「あなたは自立しています、私はそれを認めます」といってくれてはじめて、私は自分の自立性を確信できて自由になれるのである。しかし、自己意識どうしはすぐに相手を認めたりはしない。自分を認めさせようとする「闘争」が始まるのである。


(承認をめぐる死を賭けた闘い)
自分こそ「自立」しているという(主観的)確信を、(客観的)真理として確証するために、2人の自己意識は闘争する。(…)ここで闘う2人は、自然な欲望とはもうちがったものを求めている。<自立した自己>という、いわば観念的なものを満たすために彼らは闘うのである。だから、自然な欲望からどれくらい距離をとれているか、<自立した自己>をどれほど強く確信しているか、ということが勝敗を決定することになる。
苦痛に負けず命を失うことも恐れずに、徹底して自分の自立性をつらぬきとおそうとした側が、勝者となり主人となる。他方で、苦痛は嫌だ、命は惜しいと思った側が、敗者となり奴隷となる。
こうして、主人と奴隷という最初の社会関係、支配・被支配の関係が成立するのだ。


(主人)
主人は完全に自立性を達成し、自由になったようにみえる。対人関係でいうと、奴隷を支配して、奴隷に自分の自立性を認めさせている。(…)
ところが、主人は自立的なものにとどまりえない、とヘーゲルはいう。この承認関係が、相互性を欠いた不平等なものでしかないからだ。主人は自分では「自立している」と思っているだろうけれど、その自立性を支えているのは奴隷なのである。だから、奴隷が自信をつけて自立性を主張しはじめるなら、主人の自立はただちに危うくなってしまうだろう。


(奴隷)
奴隷は、自立的であるという自己意識本来の在り方を、自分においてではなく、主人のなかにみている。自分は非本質的であり、主人こそが本質的である、と思っているのだ。しかし奴隷のほうにこそ、真に自立的な自己意識への発展の可能性がある、とヘーゲルはいう。そのさいの契機となるのが、<畏怖(おそれ)>と<奉仕・労働>である。
奴隷が主人の命令に従うのは、殺されるのが怖いからだ。<畏怖>とは、主人に対する恐怖というより、本質的には「死」への恐怖なのである。ヘーゲルは、死への恐怖は自分の存在全体に関しての不安であって、あれこれの物やそのつどの欲望に対する執着から奴隷を引き離すものだ、という。
奴隷はもともと、そのつどの自然な欲望を否定できなかったから、奴隷になったのだった。しかし、つねに死の不安に脅かされることによって、奴隷のなかにもそのつどの自然な欲望とはちがった、「自分という存在」の意識が目覚めてくる。(…)
しかも奴隷は、実際に主人に対して奉仕し労働することによって、自然な欲望から解放されていく。つまり、「ガマン」することを覚えるのである。「労働は欲望の抑制であり、消失の延期である」。物をつくったり田畑を耕したりすることは、そのつどの欲望を「延期」することで可能になる。主人はもっぱら享受しているだけなのに、奴隷は自分の欲望をコントロールすることができるようになるわけだ。奴隷は、「死への恐怖」にさらされつつ労働し、主人よりももっと強力な<自立した自己>を自分のなかにつくりだしていくのである。
労働にはさらに、決定的な意味がある。奴隷は、労働によって自分の自立性をはっきりと「確信」することができるようになるからだ。(…)ヘーゲルにいわせると、労働は自分を物に刻みつける行為である。※途中数箇所略しました(108p~)


うーん(悩)私のヘタな感想文を書くよりも、もとの文を短めにカットして、この本の面白いところを少しでもお伝えしたかったのですが、ウマく切り取れなかったかもしれません。
『ヘーゲル・大人のなりかた』は、『成熟と喪失』(江藤淳・Link)、『デカルト』(野田又夫)と、私にとってのかつての「モラトリアムよ、さようなら」本で、沁みる言葉がたくさん書かれています。


とりあえず、ヘーゲル(1770~1831)について。
「ドイツ観念論の哲学者たちのうちで、完成した体系を残したただ一人の思想家であり、(…)その哲学体系は、弁証法によってつらぬかれている。(…)ヘーゲル自身の生活経歴においては、彼が現実に直面した過渡期はフランス革命に伴う社会的変動の時代であった。彼はそこで経験された諸矛盾を、根本においては彼のキリスト教的神学(の論理)によって克服しようとしたのである。同時にその克服の内容は、国家における政治的自由の発展に中心をおいて人類の歴史の歩みを解釈する立場からくみとられている。――この歴史哲学の神学的形式と社会的内容との間の総合と矛盾は、やがて一方ではキルケゴール、他方ではマルクスによって、それぞれ反対の立場からはげしく批判されることになった」(『哲学概論』/岩崎武雄・山本信・北樹出版)


まず、日本人の私には、キリスト教が理解できません。聖書の文字は読めるけれど、その意味を、ほんとうには理解できないと思うのですよね。もし理解するとしたら、日本人流に理解したということになるのかもしれません(精一杯に読みますが、自信ない)
次に、「国家のために」というのも、あまりよろしくないかと。これはヘーゲル哲学の、もっとも指摘される箇所のようですが、正直申し上げて、マルクスも、あるいはその後のポスト・モダニズムも、共感し難いです。
なんて書くと、まるで分かっているような口ぶりですが、ヘーゲルにしろマルクスにしろ、『構造と力』にしても、私には、さっぱり分かりません(笑)短気で身勝手な読者としては(←私のこと)まずは欲しい情報だけが欲しいわけです。そこから時間があるときにでも、少しずつ難解なそれを読み進めて行きたいかなと。いま読んでどうなるということでもないので、スルメをかじるように、しゃぶしゃぶと、味わって行けたらいいかなと。


『ヘーゲル・大人のなりかた』は、かつてモラトリアムだった私にとって、まさに欲しい情報を与えてくれた本でした。あまり上手く切り取れませんでしたが、先に出した箇所、いま読み返してみても、「ぎょっ!」とします(笑)主人と奴隷の話、面白いですね、立場が逆転しています。そうして、「畏怖・奉仕・労働」を引き受けるならば、奴隷はいつでも主人になれる可能性がある。そのまた逆もしかりで、主人はいつでも奴隷になれる(笑)上か下かの話ではなくて、働くことの深み、味わいを、教えてくれていると思いました。「こんなカスみたいな仕事、ヤだなぁ」とか、「仕事が単純単調で、厭きちゃった」とか、もっと本音で「働きたくない」とか(笑)働くこと自体が意味を失っているような昨今において、「目の前の仕事を一生懸命にやりなさい」と、まずはそのことをヘーゲルに言われているような感じがしました。もちろん、この私の感じ方は、ヘーゲル哲学、それからご紹介した本の、意味するところに比べれば、ほんとうに些細、素朴です。現物は、もっと深いです、当然のことながら。
ヘーゲルやこの本に相手になってもらい、自分の立ち位置から自分を見つめ直すこと。生涯にわたっての付き合いです、哲学も自分自身も。はやく大人になりたい(?)


【ご紹介した本】
ヘーゲル・大人のなりかた
西 研

日本放送出版協会 1995-01
価格 : ¥1,019
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【良書・やや読みにくい】
精神の現象学 上
G.W.F. ヘーゲル Georg Wilhelm Friedrich Hegel 金子 武蔵

岩波書店 2002-11
価格 : ¥9.240

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【読みやすい】
精神現象学
G.W.F. ヘーゲル G.W.F. Hegel 長谷川 宏

作品社 1998-03
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【原典に忠実に・カタイ】
精神現象学 (上)
G.W.F.ヘーゲル

平凡社 1997-06
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