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地吹雪体験ツアーと、ほら吹き大会。

お名前を忘れてしまったのですが、或る劇作家の方が、若い頃に太宰の小説を読んで、ちょっと大袈裟じゃないのか? と思っていたそうです。それがある日、仕事で金木町を訪れて、ずーっと町のなかを歩いて歩いて歩いて、そして太宰の生家にたどり着き、見上げた途端に理解した、とどこかに書かれていました。作家の文章は、一文字たりともその作家から離れていないのですね。すべて作家自身を表しているようです。

、、、と過去記事に書いたけれども。
手もとで情報収集できてしまう、本を開いて活字を読めば情報として知ることができる、こういう時代にこそ、じぶんの足で町のなかを歩いてみることの重要性を感じます。知ることと、ほんとうに分かること(あるいは、分かろうとすること)。「情報」というカメラワークから外れた景色、ありようが見えてくる、或る劇作家の方は、それを見たのだと思います。体に染みつくみたいにして太宰の故郷が理解を求めてきた、ということだと思います。

昨日の新聞に、『雪国地吹雪体験(金木観光物産館マディニー/詳細)』の記事が出ていました。
雪国の負の側面である地吹雪を逆手にとって観光資源にしてしまおう、という試みで、記事によれば今年で21年目だそうです(動画)。雪が激しく降るところであれば、べつに金木町でなくても地吹雪体験はできるでしょう。ところが、たとえば金木町の雪と、同じ県内の、わりと近い場所にある弘前市の雪とでは、雪が違うのですね。もちろん地理的な理由もありますが、それ以上に注目したいのは、それぞれの市町村が背負ってきた歴史の違いがあります。これは教科書に書かれていることではなくて、じっさいに町を歩いてみるとその一端に触れることができるのです。金木町も走っているストーブ列車は、五所川原市へと結んでいますが、この五所川原市の駅周辺には、いまでも(※1)地べたにゴザを敷いて坐り、寒さに身をちぢめながら物売りをしているオバサンたち、地もとの言葉で言えば「かっちゃ」がいます。なんと言うのでしょう、もんぺ姿? ナイロン地の安っぽい衣服をダルマのように着込んで、まるでお遍路さんの苦行のようにも見える、そういう方々を何人も見ました。寒くて口もきけない状態です。私が立ち止まると、「買わねが(買いませんか)」、とポツリと言いました。たいした物を売っているわけでもありません。小豆とか、干しもちとか、商品として見れば、まぁパッとしない物ですね。それを寒いなか2、3人かたまって坐って、幾らにもならない売り上げを待っているのです。そこへ地吹雪が、ザーッと吹きつける。「かっちゃ」たちは顔をそむけ、ぐっと耐えている。吐く息が、ため息のように聞こえてきます。土方焼けしたその顔には、幾十ものシワが刻まれ、耐えてきた年月の長さを見るようです。まだそこに立っていた私のことを下から見上げる、ぼんやりとした「かっちゃ」の両の目が、商品として流通している「希望」など打ち消されてしまった強さ、ズ太さで、底から輝き、「買わねが」、とふたたび言いました。
太宰の子どもの頃は、もっと貧しかったことでしょう。そこに豪邸が建っている。太宰の生家です。こういう景色、息吹は、じっさいに現場へ行ってみないことには知ることができません。
金木町の地吹雪体験は、地吹雪だけを体験できるのではなく、歩いた道なりに沿ってその町々の歴史に同時に触れることができるという良さがあります。地もとの方々と触れ合って、ぜひ有意義な時間を過ごされますことを…。

同じ日の新聞記事に、旧百石町から続く恒例のイベント、おいらせ町『ほら吹き大会』のようすが出ていました。夢のある壮大なほら話を語って(騙って?)もらうのだそうです。ついに町おこしの協力のため、ブッシュ米大統領まで来町したそうですよ(笑)。
小説も、ほら話のようなものですね。はら話のなかに、真実が描かれています。

※1 いまと言ってもずいぶん前ですが、笑。

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