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中原中也の骨

ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きてゐた時の苦労にみちた
あのけがらはしい肉を破つて、
しらじらと雨に洗はれ
ヌックと出た、骨の尖(さき)。


それは光沢もない、
ただいたづらにしらじらと、
雨を吸収する、
風に吹かれる、
幾分空を反映する。


生きてゐた時に、
これが食堂の雑踏の中に、
坐つてゐたこともある、
みつばのおしたしを食つたこともある、
と思へばなんとも可笑しい。


ホラホラ、これが僕の骨――
見てゐるのは僕? 可笑しなことだ。
霊魂はあとに残つて、
また骨の処にやつて来て、
見てゐるのかしら?


故郷の小川のへりに、
半ばは枯れた草に立つて
見てゐるのは、――僕?
恰度(ちやうど)立札ほどの高さに、
骨はしらじらととんがつてゐる。


『骨』/『中原中也詩集』大岡昇平 編(岩波文庫)


中原中也といえば、女々しい人だと、言う人もいますが。
『月夜の浜辺』、たしか教科書にも載っていたような。
「月夜の晩に、ボタンが1つ 波打際に、落ちてゐた。」というアレです。
それを拾って何かに役立てようと思ったわけではないけれど、月の光が照らす静かな夜の海に、捨てられない。だから僕はボタンを、袂に入れるという、穏やかで少し哀しみのただよう、自己から他者へ、そして世界へと広がっていくような慈悲が表れた詩だと思います。このときに、その海というものを、どこかのカレンダーの写真のようなものとして想像すると、中也は女々しい人になってしまいますが、ナマの海はまるで生きモノのようじゃないですか、すごいパワーを感じるし、底知れぬ怖ろしさもあるし、深い愛も感じられるし、もっと言えば、たとえ親兄弟、友人知人、ゴマンといても、たったひとりで死んでいくのだから、「ひとり」という地点でみんな生きていると思うのですよね、その「ひとり」に意味があるのかと考えてみれば、拾ったボタンと大差ないかもしれない。でもゼロではない。確実に、ここに「ひとり」いる。その「ひとり」を、生きモノのような海から拾い上げて、自分の袂に入れるわけです。入れたのは、ボタンであり、自分であり、世界であり。小さな「ひとり」が、それを守りたいと願う―― 教科書ガイドには何と書いてあるのか知らないけれど(笑)私はそう読みました。


『骨』という詩は、わりと好きな詩です。
「しらじらと雨に洗はれ ヌックと出た、骨の尖(さき)」
ここを想像すると、空気がぴぃーんと張りつめる。
無駄なものを、一切合財、脱ぎ捨てて、骨だけが残る。
この骨は、あやしく光ってます(笑)見えないだけに(だから見たいのだけどね)ヘンにカンぐってしまい、そう感じるのかもしれない。
私の骨は、どんなだろう…?
近づいて行くようで、遠くなる。
最後には、骨を見られるといいな。


【ご紹介した本】
中原中也詩集
中原 中也 大岡 昇平

4003109716

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