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中上健次 『黄金比の朝』

「おまえが手紙に書いてたじゃないか、大学に入ったら、自分も同志として活躍したいってな」
「だから、おまえはヌケてる。おれはその反対のことを考えてたんだよ。おまえらが権力を否定したり打ち倒したりしようとして血まなこになっているのなら、おれは、一流の大学に入って、政治家でもブルジョアでも良い、階段をかけのぼってやるってな」
へっと声を出して兄はわらった。「この社会、そんなに甘くできちゃいないさ」
「社会じゃなくって、世間だろ」
「なんでもいいよ、世間だろうと社会だろうと。一流大学でて権力の階段かけのぼるなんてひと昔前のことだ。おまえは古すぎるよ。そんなこと言うのなら、自民党にでも共産党にでも良い、入るほうがよっぽどおまえの野望にてっとりばやいぞ」


『黄金比の朝』/『岬』中上健次(文春文庫)より


↑異母兄弟の会話。
デキのいい兄は大学に入り、過激な党派に属している。
弟はアルバイトをしながら安アパートに住み、兄の大学を目指して浪人中。
革命、チェ・ゲバラ、救対(きゅうたい)、オルグ、などの言葉が使われ、その根底を脈々とながれる哀しい怨みは、中上独特の「のがれがたい血のしがらみ」である。
「社会じゃなくって、世間だろ」と言い直したのは、弟のほう。
社会と世間は違うのだと、そして兄は社会ではなく、世間のほうに在るはずだと暗に言っているわけだ。
この弟の主張は、たとえばこんなふうに表現されている。
「おまえは、かつて学生運動がさかんだったころ、過激だといわれる党派に身を投じ、おれに延延と手紙で、暴力とはなんなのか、大衆とはなんなのか、書いてよこしたが、一度でも、あのやとなの母の持ってくる宴会のあまりものを食ったことはあるか? 宴会やお座敷に出ると、やとなが、酒のおしゃくや唄をうたうだけですむはずがないことは、母がやとなに入りはじめたときからぼくは知っていた。その母がもってくるあまりものの刺身、すのもの、鮨、から揚を、ぼくは食って育ってきたのだ」
のがれがたい血のしがらみは、世間という人々の直中にあり、一方、兄の主張はその世間というものを切り離した場所に建てた、空想の社会でしかありえない。弟はこのことに、こだわる。どうしても、主張しないわけにはいかない。
この辺りの切り取り方が、中上独特で、血のしがらみは、まるで焼絵のように痛々しく、腹の中では嫌悪しつつも、そこから決して逃避しても行かない。
「ぼくは、立ちあがった。寒さが立ちくらみのように襲ってきた。あわてて服を着たかったが、ぼくはその軽佻浮薄なぼくの心を律して、眠る前に折りたたんでおいたシャツとズボンとジャンパーを、わざと自分の心を試すようにゆっくりと丁寧に着」ていくのである。
「わざと自分の心を試すように」世間の直中に居続けるかのように――


私が読み始めたとき、学生運動は遠く、中上もすでに亡くなっていたが、土方あがりのこの作家は、地べたから、今に、語りかける。
51年、『岬』で芥川賞受賞。それと同時期の『黄金比の朝』は、中上らしさがいっぱい詰まった、友へ向けた言葉のようにも、また私には読めた。


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