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ゾラ 『居酒屋』

1850年、物語は、主人公ジェルヴェーズが外泊した夫の帰りを待つ場面から始まる。掃除してもキレイになりはしない、みすぼらしく汚い安アパートの2階の窓からパリを見下ろし、夫の姿、影を捜す。


この若くて健気な女ジェルヴェーズはその後、ほぼ20年かけてじっくりと作者ゾラの手によって蒸し焼きにされるのだが、ひょっとして通俗小説を読まされやしないかと心配する間もなく、圧倒的な描写とこれでもかというリアル、しつっこさで、気取り屋の仮面を引っ剥がし、人か犬かというぐらいの俗で薄汚くて欲張りで反吐が出そうな人物たちを狂わせていく。だがしかし早まってはいけないと、『序』でゾラはこう書いている。


「これは真実を語る作品だ、最初の民衆小説だ、嘘偽りは語らず、民衆の匂いのする最初の小説だ。民衆はすべて邪悪だなどという結論を引きだしてもらっては困る。げんに、わたしの作中人物は邪悪ではない、無知のまま、自分の生きる苦しい労働と貧困との環境に毒されているにすぎないのである。わたしの人柄や作品について世上行われている奇怪で汚らわしい出来あいの判断を受けうりするまえに、せめて、わたしの小説を読んで、理解し、その全体像を明瞭に眺めていただきたいものだ」


読めば、人物とその周囲をまんべんなく細やかに描写し、ゾラ自身は黒子に徹して踏みとどまり、ストーリーの断片を上下左右に効果的に正確に配置していく、その神業みたいな器用な手つき! ところがその内容を、どう捉えるのかと考えるにいたり、ただ「見ろ」と言われても、ふっきれない静かな哀しみが、まるでサイレント映画の終わりのように沈殿していく。なので、ゾラが『序』で言っているような言い方は、ちょっとズルいような気もする。この小説は救いがたく後味も悪い。そう思うまえに無知や貧困を思えと言われても、たとえ思ったとして、それから、その思いをどうしたらいいの? 胸に仕舞っておく、カフェで語りあう、それとも、教訓として? こうも徹底的に描写されてしまうと、痛みも深まるでしょう。ジェルヴェーズとクーポーの新婚生活が、どうかうまくいきますようにと願わずにはいられなかったし、この健気な女が、ごくフツーの幸せを手に入れて暮していけたならばどんなにかいいだろうなと、実在していないのだけれども、読みながら、そんなふうに思ってしまう。ゾラの『居酒屋』は、まるで生きていると思う。それだけに痛い。心を揺さぶる。じっさいのゾラは気弱で涙もろく、やさしい人のよう。どこかで演説するときには、きっちりと原稿を書き、ひどい近視の目をくっつけるようにして一語一語をたどたどしく読んでいく、即興的に雄弁に語ることはできなかったという。きっとこの小説も、才能と技術でさらさらと書いたのではなくて、入念に計画し、書いては原稿を見つめ、紙に目をくっつけて読み直し、また書きつづけていったのかもしれない。その姿は、ジェルヴェーズとどこか似ているような、そんな気もしました。
映画は、どうでしょうか。
つぎは映画も観てみたいです。


※集英社世界文学全集55『ゾラ』から引用しました。
Link : ゾラの年譜


※ゾラの他の記事
『ナナ』
『ムーレ神父のあやまち』


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