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大江健三郎 『死者の奢り』

死者たちは、濃褐色の液に浸って、腕を絡みあい、頭を押しつけあって、ぎっしり浮かび、また半ば沈みかかっている。彼らは淡い褐色の柔軟な皮膚に包まれて、堅固な、馴じみにくい独立感を持ち、おのおの自分の内部に向って凝縮しながら、しかし執拗に躰をすりつけあっている。彼らの躰は殆ど認めることができないほどかすかに浮腫を持ち、それが彼らの瞼を硬く閉じた顔を豊かにしている。揮発性の臭気が激しく立ちのぼり、閉ざされた部屋の空気を濃密にする。あらゆる音の響きは、粘ばつく空気にまといつかれて、重おもしくなり、量感に充ちる。


※『死者の奢り・飼育』(新潮社)より


昭和32年の「文学界」8月号に掲載されたこの小説は、大江さんの文壇的処女作で、翌年『飼育』で芥川賞受賞、江藤淳さんの解説によれば、「ほとんどあらゆる流派の批評家の賛辞をほしいままにした」そうです。(残念なことに、私はまだ生まれていません。。。)
『死者の奢り』は、アルコールの水槽に解剖用の死体が保存されていて、それを処理するアルバイトの学生の話ですが、のちに大江さんは若い頃に書いた小説を読み返すと恥ずかしくなってくる、というようなことを、どこかにお書きになっていらっしゃいましたが、私がはじめて読んだのは、20代前半の頃で、いつものごとく、なんの予備知識もないままに、ふらっと本屋へ行って、先にぬき書きした箇所に出くわしてしまい、これは面白くなってきたぞと即買いしたという、そういう偶然でした。その後に長編もいくつか読みました(『万延元年のフットボール』がいちばん好きです)新聞に記事が載っていれば「おっ!」と思い、読みました(落とし穴の話とか、よかったです)『小説の方法』(岩波書店・同時代ライブラリー)は、「人間の諸要素を全体として活性化させる、小説という言葉の仕掛け」を大江さん流に論じた本ですが、これは小説と違い読むのに苦労しました。具体的な作品に即して論じているために、その具体的な作品とその周辺のことが分かっていないという(恥)まるでどこかの外国に放り込まれた小僧のように、青くなって読みましたけれども、なぜか最後には元気になってしまい、それはたぶんこの本の最初の一行目に示されているとおりの理由によると思います。「言葉を軸にして、人間とはなにかということを考えつつ、そのように考える自分が、まず人間について基本的な信頼の思いをもっていることに気づく」だから大江さんの小説は救い難くはないのだなぁ、とも思いました。ダークな内容でも、どこか明るいのですよねぇ。「人間について基本的な信頼の思いをもっている」というのは、わりと言いやすい言葉だけれども、それはつまり「祈り」へとまっすぐに通じているわけで、思いを千切って言葉に織り込んでいくという汗水の流し方が読んでてビシビシと伝わってきて、いまではもう「祈り」などという言葉さえも味が抜けちゃった感もあるなかで、この汗水の流し方は人の心を動かすというか、大江さん自身の切実なる理由からの織り込みというか、ともかく私にはニセモノには思えませんでした。またそれと同時に大江さんの魅力として言いたいのは、現実に立ち向かう姿がものすごく強いのですよね。大地に根を張り田畑を耕す農民のような強さを感じてしまいます。なにもないわけじゃない、あるんだけれども、そのさまざまな思いや出来事のなかに入っては行くが、祈りのような表情でじっと天を仰ぎ(この表情が農民を連想される)かならずそこから出てくるという、そういう強さが小説全体に私は感じられるのですが…。江藤淳さんの解説にはこう書かれています。「だが、大江の抒情は、周囲をとりまく悪意にみちた世界に屈伏せず、かえってそれに激しくつきあたろうとしている点で、過去のどの抒情家のそれとも異質であった。このような抒情は新しい文体を要求する。大江の文体が論理的な骨格と動的なうねりをもつのは、このような事情によっている」私の感じ方とは違うかもしれませんが、江藤さんの解説にも私は納得しました。
そんなわけで、私は20代前半の頃に大江さんの小説をはじめて読んでから、他の現代作家が大江さんについて書いている箇所もチェックするようになったのですが、悪文の例として引き合いに出され、そこから内容や姿勢といったところまで、嫌味を含めての口撃をたびたび目にしては、ひそかに傷ついたり(苦笑)それで、この記事を書くのに今、検索してみましたところ、インテリが自分の頭の良さに酔い、読者の頭の悪さを見下している、そういう小説だから、一般ウケしないのだと(大苦笑)たとえば、フォークナーはどう読むのだろうか。『アブサロム、アブサロム!』(筑摩書店)をすこし抜き出してみます。「よどんだ暑気に静まりかえり、倦みはてて死んだような長い9月の午後の、2時をすこし過ぎたころからほとんど日が暮れかかるころまで、2人は、ミス・コールドフィールドが父親の呼び名をそのままに、いまなおオフィスと呼んでいる部屋に坐っていた」これも読者の頭の悪さを見下しているということに、なるのだろうか。私には、なにがよくてそうでないのかなんて、とても言えたもンじゃないですが、書きたいものと、それを表現するための方法とを考えて、そのいちばんいいところを持ってくる、そういう汗のかきかたを、まずは噛みしめたいものだとは思っていて、もうひとつ、学校に提出する作文じゃないんだから、文章がねじれているから、だからどうなの? と疑問にも思います。読みやすいとか読みにくいとか、文章がねじれてるとかそうでないとか、私はどちらでもいいと思うのですが、なぜか一方に引っぱって行こうとする、それがフシギです。あぁ、この国は、日本だなぁ、と思いますねぇ(苦笑)個性が強いと、叩かれちゃうもの。
『死者の奢り』は、その後の長編小説よりも読みやすく、また大江さんらしさがいっぱい詰まった、愛着のある小説です。


Link : 大江健三郎ファンクラブ(年譜もあります)
Link : 若い読者のための大江健三郎ワールド(細やかな作品紹介です)


【ご紹介した本】
4101126011死者の奢り・飼育
大江 健三郎

新潮社 1959-09
価格 : ¥460
おすすめ平均

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【これ以降、江藤淳さんは決別した、らしい】
4061960148万延元年のフットボール
大江 健三郎

講談社 1988-04
価格 : ¥1,575
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