カタヨリ紙

終電前のブンガク雑談サイト 

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『さかしま』 J・K・ユイスマンス

「こんにちは」「さようなら」「おとなしくして、よく勉強しなさい」こんな風に、きまりきった挨拶しかしない父だった。夏の休暇には、少年はルウルの城館に帰省した。子供の帰省も、母親を夢想から呼びもどしはしなかった。子供がいることなぞ、ほとんど気がつかないかのようだった。それでも時には、苦しげな微笑を泛かべて、数秒間、子供の顔をまじまじと見つめることがあったが、すぐにまた、厚い窓のカーテンで部屋を蔽った人工の夜のなかに沈湎して行った。(12p)

『ブラック・ハウス』 パトリシア・ハイスミス

その田舎町は閉塞している。
若者は都市へとながれて行き、痛風とか腰痛とかを抱えて暮らす老人と、そう遠くない未来に自分らも同じように足をひきずって歩くようになるだろう年配者と、あと残りわずかの若者しかいない。

『泥棒日記』 ジャン・ジュネ

わたしの書いたものを検(あらた)めてみると、わたしは今日そこに、卑しいとされている人間や物や感情を対象とする、忍耐強くつづけられた、復権の意志を明らかに認めるのである。卑しいものたちを、ふつう高貴さを表現するのに使われる言葉で称(よ)んだことは、幼稚な、たやすいやり方だったかもしれない、――わたしは急ぎすぎたのだ。(略)しかし今日自分の書いたものを読みかえすとき、わたしはそれらの若者を忘れてしまっており、彼らからはただわたしが高らかに歌ったさまざまな属性が残っているだけである。そしてそれらこそがわたしの諸作品の中で、自恃(じじ)の念や英雄的行為や大胆さと等しい光輝をもって輝くだろう。わたしは彼らのために言い訳を捜そうとはしなかった。彼らを正当化しようとはしなかった。わたしはただ彼らにも「名辞」たるの栄誉を与えたかったのだ。この操作はわたしにとって無駄ではなかったようだ。わたしはすでにその効果を感じている。すなわち、わたしの精神は、あなた方が蔑むものを美しくしたことによって、わたしの心を激しく揺り動かしたものを光輝ある名でよぶという活動に倦(う)み疲れて、いまはもう、あらゆる形容語を拒否するようになっている。わたしの精神は、人間でも物象でも、それらを混淆(こんこう)することなく、すべてを等しくその裸の姿において受け入れるのだ。それらに衣を被せることを拒否するのである。こうして、わたしはもう何も書きたくない。わたしは「文学(ことば)」と訣別すべき時が来ているようだ。(160p~)

L-F・セリーヌ 『なしくずしの死』

みんなまたひとりぼっちだ。こういったことはみんな実にのろくさくて、重苦しくて、やり切れない……やがて私も年をとる。そうしてやっとおしまいってわけだ。たくさんの人間が私の部屋へやって来た。連中はいろんなことをしゃべった。大したことは言わなかった。みんな行っちまった。みんな年をとり、みじめでのろまになった、めいめいどっか世界の片隅で。(『なしくずしの死』上/L-F・セリーヌ)

ピエール・ルイス 『女と人形』

どう言えばいいのでしょう? お察しどおり今度もまた私はなぶり者にされ弄ばれたのです。この娘が女の中でも一番質(たち)の悪い女だということは、彼女のさまざまの惨酷な手管が度を越していることは、すでにお話ししたとおりです。でも今のところまだ君は彼女を知らないも同然です。これから私の話をお聞きになって、場面を重ねるうちに、コンチャ・ペレスという女の正体がはっきりしてくるでしょう。
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