カタヨリ紙

終電前のブンガク雑談サイト 

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太宰治の桜桃忌です。

昭和11年。太宰は熱海に居た。
お金を届けてほしいと、檀一雄に連絡を入れた。
檀は初代(内妻)から七十数円を預かり、熱海へと。
そのまま二人は小料理屋へ。

食べたら舌が抜けそうなほどに高価な天ぷらを食べ、かるく三日間飲み明かし、ついでに遊女とも遊んでしまい、気がつけば、お勘定は、三百円。たったの三日間で、七十数円が、三百円にまで膨れ上がってしまった。

小島信夫 『殉教/微笑』

「首をきるのはなかなかむつかしいでしょう?」
「いや、それは腕ですし、何といっても真剣をもって斬って見なけりゃね」
「何人ぐらいやりましたか」
「ざっと」彼はあたりを見廻しながら言った。「二十人ぐらい。その半分は捕虜ですがね」
「アメさんはやりませんでしたか」
「もちろん」
「やったのですか」
「やりましたとも」
「どうです、支那人とアメリカ人では」
「それやあなた、殺される態度がちがいますね。やはり精神は東洋精神というところですな」
「それでよくひっかからなかったですね」
「軍の命令でやったことです」(略)
とたんに山田の浅黒い顔の中でよくしまった口がゆがみ口惜しそうな表情になった。
「どうです、このざまは、これが戦争中の行軍だったら……これが教師なんだからな」(『アメリカン・スクール』195p~)

『腹中花』 桑井朋子

あれから二十年余がたった。私はいっとき嫉妬に狂い、その婆さんを殺したり醜いトカゲの姿に変えたりするという妄想を描くことで、辛うじて日常の生活を保っていた。その日常も男と別れてからは以前のように汚れのない生活に戻り、心置きなく娘とも会えた。けれどもその汚れのない二十年はなんてつまらなかったことだろう。彼との二年三ヶ月と比べれば、月とスッポンだ。とりわけ、この世にもうこの自分を殺してくれる者がいないのだと、ふとそう思うときの虚しさは言葉に言いつくせない。
人はどうなのか知らないが、私はたえず自分の死が納得のいく形に保証されていないとどうしても落ち着けない。でなければ、現実のどんな希望も幸福もただの幻のようでしかない。(156p)

※『文学界4月号』/『腹中花』桑井朋子

大江健三郎

「友人たちが亡くなって僕が考えたことは、彼らが生きている間に彼らが考えたことを、僕は十分理解していないのではないかということです。そして、僕は彼らの大事な時間を奪い、無駄にしてしまったのではないかと思い、苦しみました。」

『退行する日々』 桑井朋子

 1夢
その夢は、診察室へ入ったところからはじまりました。
するとそこに、二十年前に診てもらった医者がまだあの頃のピテカントロプスのままでいましたので、わたしはびっくりしました。
人類はアメーバーから何十億年もかかって進化してきたのですが、個々の人の体というものは、それと同じ過程をへて成長し、退化するときには今度はその過程を逆にたどっていく、というではありませんか。それならば、あのころ石器時代のピテカントロプスあたりまで退化していた医者は、今では当然チンパンジーぐらいにはなっていなければならないはずです。…(文学界12月号より)

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